昨日はちょっと悲しいことがあった。
悲しいというか、意見の食い違いというか・・・。
人との関係って難しいと思う。
お互いに良かれと思ってしていることが、裏目に出る。
そのことをいくら説明しようとしても、言葉は言葉でしかなくて、その時起こったことはもうそのまま表現できるものではなくなっている。
瞬間はいつもその時だけのもの。
説明なんて不要なのだ。
でも、人間社会にはどうしてもコミュニケーションが必要だし、それがなかったら恐ろしくつまらない世界だろうとも思うのだけれど、
本当は言葉なんてなんの確信にもならない、と思っている。
だから、私は人と話すのが苦手だ。
必要以上に言葉に意味を持たせようとしたり、自分の思っていることを相手に伝えようとエネルギーを注ぎすぎて、結局会話を楽しむことができない。
ごく親しい人にはそのこともまるごと伝わってしまっているはずで、だから時々とても会いたくなるのだけれど、会うのにはやっぱりエネルギーが要る。
面倒くさい性質だ、と自分でも思う。

だから、パチンコ店みたいな、人とのつながりなんて皆無な空間で働くことができたのだ。
客の質が悪かろうと、従業員が無愛想だろうと、私にはなんのパチンコ攻略関係もなかった。

昨日は久しぶりに友人と食事に出かけた。

1歳になったばかりの子供がいるのだが、彼女の旦那さんはいつも快く送り出してくれるという。

何度か一緒に食事をしたことがあるのだけれど、とても良い人だ。

今回は随分久しぶりだった。

お互いの都合がなかなかつかなかったのだ。

気軽に呑めて、ちょっと雰囲気のある焼き鳥屋さんで、つめたい日本酒を飲みながら色んな話をした。

素晴らしく頭がいいのに破天荒で、一緒にいると俄然元気が湧く。

彼女は並々ならない武勇伝の持ち主でもある。

一番強烈だったのは、アメリカ人との婚約を破棄した時の話。


初めて会ったのは、彼女が帰国して1年も経たない頃。

ちょうど英会話の勉強をしていた私は、英語を話せる友達がいなかった。

そこで、学生時代の友人の同僚だという彼女を紹介してもらったのだ。

年の差はあれど、私たちはたちまち意気投合し、さらに贅沢なことに、生きた英会話ならではの勉強法も教えてもらっていた。

彼女は、アメリカに婚約者を待たせていた。

日本である程度仕事をしたら結婚する、と言っていた。

私はもちろん、彼女自身もそう信じていたに違いない。

彼女は日本を愛しているので、本当はアメリカなんて行きたくないのよ、と会うたびに言うのだった。

時期がきて無事退職し、渡米までわずか2日に迫ったある朝、彼女から電話がかかってきた。


「結婚するのやめちゃった」


あまりにあっけらかんと言われたので何と言ってよいのかわからず、そう、良かったわね、などと言ってしまったのだけれど、本当は心底驚いていたのだ。

でももちろん、私は彼女が好きなので、彼女が幸せならばどこにいてくれても全然構わないのだった。

婚約者には気の毒なことだったけれど、それも仕方がない。


パチンコ店で窒息しそうになっていたあの日々の、唯一の息継ぎだった。

今日はまったく天気がいい。

しかも、冬の空気ではない気がする。

春というにはまだ早く、でもそういう類のフレッシュさだ。


ところで思い出したら気になって仕方がなかったので、プルキニエ現象について少し調べてみた。

19世紀の旧チェコ・スロヴァキアの生理学者、ヤン・エヴァンゲリスタ・プルキニエが解明し、その名がつけられた。

正式には「プルキニェ」と発音するらしい。

視覚度のずれのこと、とある。

人間の目は網膜の視細胞で色を感知しているのだが、暗い場所にいけばいくほど、青い色に敏感になる性質を持っているらしい。

逆に明るい場所では赤い色が鮮やかに見える。

照明を落とした場所でのパーティーなんかは、青いドレスを着ると映えるのだ。

人間の心理が不安的になりやすくなるという、心理的影響もあがっているらしい。


でも、あの心許ない感じはそれだけじゃない要因を含んでいる、と私は思っている。

パチンコ屋に生息していたあの頃、人生というものは果てしなく、とても手に追えるものではなかった。