すべる話があって すべらない話がある。

ポジティブさを知るためには
ネガティブさを知らなければならない。

冷静さを自覚するのは
情熱的な自分を自覚しているから。

か、どうかはわからないけれども (今、思いつくままになんとなく書きました、ごめん)


少し前

お風呂からあがった長女11歳が

”aki なんかお風呂暗くなったね”
などと申すので

電球のひとつもチラつきだしたのか?と思ったら

”百人一首って全体的に暗いね” と言うのであった。

現在我が家のお風呂の壁には

↓こちら





おぼえやすい百人一首 (キッズレッスン)/ジェイティビィパブリッシング
 が貼ってあるのだけれど

(当然ながら)百首ある小倉百人一首、謳った人と、それから現代語訳もついていて
バスタブ時間がわりかし豊かな時間になる。



まず次女8歳が(9歳になったけど)

後京極摂政前太政大臣
(ごきょうごくせっしょうさきのだいじょうだいじん)

”名前長いって!!”

と言いつつも

どういうわけか

歌そのものではなくて

昔の人のながぁ~いお名前をあれこれ覚える事に

へぇ~

と思ったママン。


法性寺入道前関白太政大臣
(ほっしょうじにゅうどうさきのかんぱくだいじょうだいじん)

もう殆ど早口言葉。
噛まずに言えるかどうかにムキになる次女。

言えた後の満足げな顔。

それにしても

役職名が長いのであって
本人の個人名がいっこもわからないなぁ・・・などと思っていた頃(こら!)

長女が↑
百人一首の歌が
(特に男性)

暗いんじゃね?ということを投げかけてきたのである。

薄々、いや
皆一度は感じたことがあるのではないか?
という、あの女々しさ。

for example(ふぉー いぐずあんぽー)


   崇徳院
(すとくいん) 
のこの一首を取り上げてみませう。。。


瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ

意味→浅瀬の流れが速くて、岩にせき止められている滝川が2つにわかれてもまた合流するように、仲を裂かれて別れさせられても、将来はきっと、必ず逢おうと思う。

。。。現代だとス○ーカー禁止法にひっかかります。お気をつけて。


続きまして

  後鳥羽院
(ごとばいん) 
のこちら

人もをし 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆゑに もの思ふ身は


意味→ひとを愛しくも思い、恨めしくも思うのです。思うとおりにならなくてつまらないと、世の中を思うから、いろいろと思い悩むのですよ。

。。。歯がゆさも人生の妙だってば!


もうひとつくらい失礼致します。

二条院讃岐
(にじょういんのさぬき)    女性だから贔屓します。



わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね かはくまもなし

意味→わたしの袖は、引き潮のときにも海のなかにあって姿の見えない沖の石のように、誰に知られることもなく、恋の涙で乾くひまもありません。

。。。恋はあなたのすべてではない!



そんなこんなで
太古の日本人から受け継がれる

しっとりと落着いた、時に情念に満ち溢れ激しい想いのほとばしる

すばらしい作品群を

それぞれに詠み親しみ
感慨にふける

入浴時間なのでした。

長女は
~どうしてそんなに哀しい恋をするのだろうね?~
とか
~愉しい恋を歌にしたいものじゃないのかな?~
とか

恋の季節の手前の今

日本人の悲恋の美学に
驚きまくっている様子。