子供の能力開発に新たな見地 | フランス紀行

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昨日は途中で力尽きて書ききれず、今日は続きを書ききりたいと思います!

改めまして、ご質問とコメントをいただき、ありがとうございました。

 

東京国際フランス学園のバイリンガルコースは、多くの生徒(というよりも親が張り切っている・・)が応募する人気のコースだが、全員が入れるわけではない。

 

要件は幾つかあり、国語であるフランス語が完璧かつ全ての学科の成績が上位、かつSIAの場合には英語、SIJの場合には日本語も流暢もしくはネイティブであること。担任と語学の先生が承諾すると同時に、Motivation Letterを本人が書くことに加え(小さい場合には親)、面接試験が課される。これを全てクリアして初めて入ることができる。

 

入った後も成績がクラス平均を下回る様なことがあれば学校から連絡が入り、親も含めて成績を学年トップ5-8%以内でキープできるよう指導が入る。テストの平均値を下回る期間が続くと翌年にはコース変更を迫られるようだ。

 

そのためか毎年、2クラス約36人の内の数人がバイリンガルコースを離れスタンダードコースに戻る。そして、逆に毎年新しいメンバーが加わる。新陳代謝をよくすることで、高レベルを維持している。

 

中学になると小さいものから大きなものまでテストがほぼ毎日あり、SIAのクラスのテストの平均値は20点満点中18や19だ。稀に17というのがあるが、ほぼ全員が満点に近いスコアを全ての教科で取ることが想定されている。

 

勉強の内容は基礎的な内容に特化しており、国際比較が可能な算数などにいたっては、日本の進学校と比べると基本でしかない。だから、真面目にやっていれば全科目満点が取れて当たり前なのだ。

 

しかし数々のテストを主尾こなし全ての教科で平均点より上をキープすることは、普通の子供には難しい。しかし学校としては、決して公にはしないものの、バイリンガルコースには勉学で(読み書きそろばん)秀でた才能のある生徒、つまり努力しなくても良くできる生徒のみを確保すればよいと考えているので、無理を承知で要求してくる。つまり、無理であれば辞めてスタンダードコースに変更すればよいだけのことなのだ。

 

そもそも努力しなければついていけない生徒は、将来も勉学において大成することはまずない。だから教育するだけ無駄だと思っているのだろう。しかし、才能のある生徒だけを集めますと公言すれば平等を建前とする共和国の理念に背くことになり、親を含め社会から反撃を食らうので、バイリンガルコースという体裁にしているだけ。

 

実質は勉強のできるエリート養成コースなのだ。

 

バイリンガルコースで強調されるのは解読力の養成だと言える。算数・数学については中学の時点でスタンダードコースと差はない。算数・数学については長くなるので、別の機会に譲る。

 

実際に、読むことは全ての教科の習得における基礎となることは確かであり、良く読める子供は成績も良い。そのため沢山の本を読む施策がいたるところでなされており、20冊を超える読書マラソンと毎本ごとに作成を求められる感想(完走)文のクオリティは国語の成績を大きく左右する。

 

日本と大きな違いは作文力への比重だろう。修辞法を巧みに使い、豊かな語彙力を駆使して説得的に記載することが求められ、これをマスターした生徒には加点される。これも読書によって培うことができる。

 

高校卒業試験のバカロレアもグランゼコールへの入学を目指すプレパも全て解読力と書く力が問われる。これは理数系においても同じだ。

 

日本ではあまり知られていないが、フランスでも「受験戦争」は小学校から始まっている。在外公館でのエリートコースでは満足できない親御さんは、子弟を本国のエリート校に入れるべく家族で帰国していく。

 

フランス本土では、パリを中心にルイ・ル・グランやアンリ4世などエリート校がいくつもあるし、マルチリンガル教育を行う公立校も意識の高い富裕層が住まいを構えるパリ郊外のヌイイなどに増えてきた。

 

フランスの進学校は日本の進学校のように受験はないが、成績と担任の教師など所属校からの推薦状が入学を左右する。長期的な視野で見ることで、個人の才能と開花に向けた取り組み、つまり才能・真の実力を評価しようとしているのだ。

 

我が家の娘を通じて学校教育を見るにつけ、学校の勉強も含め人の能力はほぼ全て遺伝子で決まるということを実感している。頑張ればできるというのは大きな嘘で、できない子供はどうしてもできない。できる子供は何をしていてもできる。能力開発は能力がある人のためのものであり、ない人は開発することもできない。

 

唯一の例外は外国語の習得だ。これは思春期までに押し込めば誰でもマスターできる。年齢が全てだ。もちろんここでも上達の速さや到達レベルなど才能がモノを言う。ただし、外国語の才能は国語の才能とは異なる。国語は解読力で、外国語の上達は解読力とは異なる。もっとも解読力のある子供は外国語の上達も早いことは確かだ。

 

このようなことから、学校において能力開発は読書によって行われると言える。解読力は能力に応じて頭打ちはあるものの、訓練すればそこそこ育つ。

 

だから、日本の文系というコースは文字そのままの便利なコースだと思う。読み書きそろばんの能力のない子供たちのための受け皿だといっても皆さん納得だろう。文才のある生徒も行くのだが、大半の生徒は読み書きそろばんの才能がない子供たちが行くコースで、才能の頭打ちに合わせてレベルや学校が数多とある。才能があれば、文系のエリート校、もしくは「理系」に行くわけだから。

 

フランス学校のバイリンガルコースは早期よりこの文系に才能のあるエリートを見極め、最終的に後理系と文系に割り振る登竜門だと言える。