世の中には色々な「依存」があります。
そもそも「依存」とは何なんでしょうか。
保健的な立場から「薬物依存」の定義を考えてみたいと思います。
WHO(World Health Organization 世界保健機構)の見解は以下の通りです。
薬物依存とは生体と薬物の相互作用の結果生じる、特定の精神的、時にまた身体的状態を合わせていう。
特定の状態とはある薬物の精神効果を体験するため、また、時には退薬による苦痛から逃れるために、
その薬物を継続的あるいは周期的に摂取したい
という強迫的欲求を常に伴う行動やその他の反応によって特徴づけられる状態をいう。
耐性はみられることも見られないこともある。1人のものがひとつ以上の薬物に依存することもある
簡単に言えば「やめたいけどやめられない」のが依存という形になります。
薬物以外でも成立すると考えられないでしょうか。
「薬物」を「インターネット」や「情報」や「仕事」などに読み替えてみてはいかがでしょうか。
また「依存」が起きるのにはどの様な状態時なのでしょうか。
同じく「薬物依存」の定義で考えてみたいと思います。
薬物依存の成立には「薬物の特性」「個体の要因」「個体を取り巻く環境」の
3つがかみ合って成立すると考えられています。
「薬物の特性」とは、その薬物が作用として依存形成性を持っているかがポイントです。
例えば、トルエン(シンナー)には依存形成性があります。
「シンナー遊び」は10代前半から半ばに始められるのがほとんどです。
そこにはその年齢層特有の心と、その時の家庭や交友関係が深く関わってきます。
ここに薬物依存の要因として「個体の要因」「個体を取り巻く環境」の重要性があります。
「個体の要因」には、遺伝的素因、薬物感受性、性別、年齢、学歴、職業、性格特性、心理状態などがあります。
「環境要因」には、家庭環境(養育、経済、ストレス)、社会環境
(薬物入手難易度、就学・就労状況、セットとセッティング)などがあります。
こちらも「薬物依存」だけの話ではないと思われます。
何事も「依存」するには「対象」があります。
人間、自分だけでは生きていけません。しかし「依存」しすぎるのも問題です。
すべてにおいてほどほどにしないと「自分」がなくなります。
「自分」を失って哀しむのは誰でしょうかね。
ぱれん