同じ人間が当たり前と信じている行為を
それぞれに眺めた時に
それを比べて違いによって分けてしまって
そこに「正否」「善悪」などのラベルを付ける。
これって脳の機能らしいですよね。
比較して危険か危険でないかを判断する。
肉体を守る機能。
常に無意識にやっている分類と比較。
それに善悪はないんだけど
色んな経験値(過去の記憶)から
「正否」「善悪」を貼り付けると揉め事が生じてくる。
でも他者を否定している時の「自分のポジション」って
よく見てみると案外に曖昧だったりする。
だってたかだか個人の経験値からの判断。
どんなに専門書を読んだり有識者から学んだといっても
それを解釈するのが個人の経験値からではやっぱり心許ない。
否定の否定は肯定だけれど鵜呑みにするのとは価値が違う。
残るのは同調圧力と忖度・・・・
コワイ。
~しなきゃ、
みんなが~だから、
溢れるムラ気質。
なのに、カタチだけ
多様化が~、個が~つって、
ココロが追いついてないじゃんね。
以上、チラシの裏のメモでした。