全ての出来事は情報の伝わる速度の違いに過ぎない | キャベツは芯まで食べられる

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「インディアンは嘘つかない」理由を考える

結局、全ての出来事は
情報の伝わる速度の違いに過ぎない
例えば、
僕は茅ヶ崎から横須賀までdjしに行っているが、
友達にMailを一瞬で送ったりもしている
さらに時代が進み
一瞬でより濃密な情報を伝えられる様になると、
より高度な理解により評価される様になる。
昔レコードを発明した人が
混ぜて繋ぐ遊びが
こんなに真剣に話し合われるとは
思いもしなかったろう。

という事を考えているうちに
ありもしない話が思い付いた。
昔々、
隣り合った作曲家同士の住宅で
作曲中の音量がうるさいだの、静かにしてくれだの
やがて、どっちもどっち的にいがみ合う様になり
いつしか音量の競い合いになる。
いつの間にか音量がデカくなった事によって、
傍の公園では両作曲家のアンサンブルが混じって聞こえる様になった。
世界最初のミックスは案外、
その公園でベンチに腰掛けた人に聴かれていたのかも知れない。

ドラクエの主人公はどれだけ心を開いているのだろうか。
世界中の人と話をしているのは
ドラクエの中でドラクエの主人公ただ一人である。
と友達が言っていた。
考えてみると
それは死の恐れのないところで
操縦されているからである。
では今の日本で、
死ぬ程の事はどれほどあるだろうか?