まぁ、何がって言うと長くなるんだけど、将来が?(苦笑)
ネガティブに考えたらきりがないのはわかっているので、
その想いに捕らわれたりはしないけど、
やっぱり時々そんな気持ちにもなるんだよね。
「人間だもの!byみつを」((笑))
鼻で笑われてしまうかもしれないけれど、
正直、全てが良い方向に進んでいる。
自分で足りているなんて微塵も思わないけれど、
極力ポジティブ思考で頑張っている成果じゃないかと思っている。
けど、時々漠然とした不安に襲われる。
まぁ、こればっかは性格だし仕方無いって言う気持ちもある。
根っこの性質ってのは気持ち一つで簡単に切り替えられる程単純じゃない。
むしろそんなに単純であっては困る(なんとなく(笑))
やることはこれからも変わらない。
ただひたすら生きるのみだ。
寿命尽きるまで生きるのみだ。
で、生きるならできるだけ楽しく生きたい。
幸せに生きたい。
その為に頑張る。
それだけだ。
☆アルバート アインシュタイン
「現代科学にかけているものを補うものがあるとすればそれは仏教である」
アインシュタインは仏教徒ではありませんが、仏教の思想を強く理解し、
重要視していたことはこの言葉からも良くわかります。
因みに、僕は無神論者です。
でも、仏教の考え方は他の宗教を超えた考え方を持っているので、
自分の生きる指針にしています。
前回の日記にも書きましたが、
僕が一番必要としていること、大事に思っていることは、
「自分が楽しく幸せに生きる為の手段や精神状態の探求、実践」です。
なので、そこに至るまでの過程はなんであれ構わないし、
どんな手段を使っても構わないと思っています。
僕が一番恐れ、嫌悪することは、
先入観や、固定観念、偏見、排他意識、バランスの欠如。
宗教、哲学、自己啓発、心理学、占星術~、その他の学問諸々。
どうしても、その物を一番であるとする傾向が強く、
協調性を見せる考え方があるように見えるものでさえ、
最終的に自分の考え方が一番唯一無二だと言いだします。
そうなってくると、どんなに素晴らしい考え方でも信用できなくなります。
仏教には中庸という言葉があり。
バランスを重んじる考え方です。
善も悪も、強さも弱さも、偏り過ぎてしまうと、
自分を壊してしまうと言うような考え方です。
何事もバランスが大事なのです。
仏教は最終的に諸行無常と「無」に辿りつきますが、
「無」のイメージは決して悪いものでなく、
ようするにフラットな状態だと僕は解釈しています。
心を無にすることで善も悪も、
つまり相反する二つの事柄の中間に立ちフラットな状態でいられると言うものだと思っています。
この状態で、自分が望む姿、望むことが一番自分が求めていることなのかなと思います。
世の中には色々な情報に満ちています。
どれが自分に合うかわかりませんが、
どんなに素晴らしい考え思想でも、
それ一辺倒になってしまえばバランスを崩し、
最終的には自らを滅ぼすのだと思います。
自分を幸せにするなら、
科学でも心理学でも宗教でもオカルトでも何でも構いません。
でも、自分の基本信念を変えずに広い視野で取り組むことは忘れてはいけないのです。
一度心を奪われてしまえば、悪意ある人からのお金儲けの罠にもはまるし、
自分の幸せすらも見失うのです。
目的の為の行動その物が目的になってしまうような状態です。
そうなれば、自分の本来求めていた目的には辿りつけないでしょう。
話がまとまりませんが、
最後に信仰もしていない仏教を何故僕がこれほど認めるのかということですが、
一番は中庸の精神を教えてくれたことです。
最後に、信仰は自由です。
どんなに狂信的な人だろうと、
それは個人の自由です。
それで本人が幸せなら。
ただ、僕の幸せは多分そこにはありません。
僕は常に自分の根底にある「自分が楽しく幸せに生きる為の手段や精神状態の探求、実践」を元に、
全てのことにグローバルな視点をいつまでも持ち続けたいと思います。
おわり
「現代科学にかけているものを補うものがあるとすればそれは仏教である」
アインシュタインは仏教徒ではありませんが、仏教の思想を強く理解し、
重要視していたことはこの言葉からも良くわかります。
因みに、僕は無神論者です。
でも、仏教の考え方は他の宗教を超えた考え方を持っているので、
自分の生きる指針にしています。
前回の日記にも書きましたが、
僕が一番必要としていること、大事に思っていることは、
「自分が楽しく幸せに生きる為の手段や精神状態の探求、実践」です。
なので、そこに至るまでの過程はなんであれ構わないし、
どんな手段を使っても構わないと思っています。
僕が一番恐れ、嫌悪することは、
先入観や、固定観念、偏見、排他意識、バランスの欠如。
宗教、哲学、自己啓発、心理学、占星術~、その他の学問諸々。
どうしても、その物を一番であるとする傾向が強く、
協調性を見せる考え方があるように見えるものでさえ、
最終的に自分の考え方が一番唯一無二だと言いだします。
そうなってくると、どんなに素晴らしい考え方でも信用できなくなります。
仏教には中庸という言葉があり。
バランスを重んじる考え方です。
善も悪も、強さも弱さも、偏り過ぎてしまうと、
自分を壊してしまうと言うような考え方です。
何事もバランスが大事なのです。
仏教は最終的に諸行無常と「無」に辿りつきますが、
「無」のイメージは決して悪いものでなく、
ようするにフラットな状態だと僕は解釈しています。
心を無にすることで善も悪も、
つまり相反する二つの事柄の中間に立ちフラットな状態でいられると言うものだと思っています。
この状態で、自分が望む姿、望むことが一番自分が求めていることなのかなと思います。
世の中には色々な情報に満ちています。
どれが自分に合うかわかりませんが、
どんなに素晴らしい考え思想でも、
それ一辺倒になってしまえばバランスを崩し、
最終的には自らを滅ぼすのだと思います。
自分を幸せにするなら、
科学でも心理学でも宗教でもオカルトでも何でも構いません。
でも、自分の基本信念を変えずに広い視野で取り組むことは忘れてはいけないのです。
一度心を奪われてしまえば、悪意ある人からのお金儲けの罠にもはまるし、
自分の幸せすらも見失うのです。
目的の為の行動その物が目的になってしまうような状態です。
そうなれば、自分の本来求めていた目的には辿りつけないでしょう。
話がまとまりませんが、
最後に信仰もしていない仏教を何故僕がこれほど認めるのかということですが、
一番は中庸の精神を教えてくれたことです。
最後に、信仰は自由です。
どんなに狂信的な人だろうと、
それは個人の自由です。
それで本人が幸せなら。
ただ、僕の幸せは多分そこにはありません。
僕は常に自分の根底にある「自分が楽しく幸せに生きる為の手段や精神状態の探求、実践」を元に、
全てのことにグローバルな視点をいつまでも持ち続けたいと思います。
おわり
心霊現象や超常現象、神秘的なことが大好きです。
でも、信じているかと言われればそうでもありません。
疑っているわけでも、否定しているわけでもないけれど。
実際、彼女は霊感の強い人で良く見ます。
なので、僕はそういう存在が自分には見れないし感じられないけど、
あるのかもしれないなぁ、と言うスタンスでいます。
たとえば、UFOなどについても同じ。
だって他の惑星に知的生命体が存在して、
超高レベルの科学文明が存在すとすれば、
地球にだって遊びにくるか調査しにくるくらいは、
想像の範囲内のことじゃないですか。
ぶっちゃけるというか、
極端な言い方をすると居てもいなくても、
あってもなくてもどうでも良いのです。
僕が必要としていること、
大事なことは、
自分が楽しく幸せに生きる為の手段や精神状態です。
おわり
でも、信じているかと言われればそうでもありません。
疑っているわけでも、否定しているわけでもないけれど。
実際、彼女は霊感の強い人で良く見ます。
なので、僕はそういう存在が自分には見れないし感じられないけど、
あるのかもしれないなぁ、と言うスタンスでいます。
たとえば、UFOなどについても同じ。
だって他の惑星に知的生命体が存在して、
超高レベルの科学文明が存在すとすれば、
地球にだって遊びにくるか調査しにくるくらいは、
想像の範囲内のことじゃないですか。
ぶっちゃけるというか、
極端な言い方をすると居てもいなくても、
あってもなくてもどうでも良いのです。
僕が必要としていること、
大事なことは、
自分が楽しく幸せに生きる為の手段や精神状態です。
おわり
