母が倒れてから公式で審判台に乗るのは初めてかな。
3ヶ月以上のブランクです。

審判着に着替えると、不思議と気持ちがしまります。
審判の采配ひとつで1点がかかわってくるのはもちろんですが、ともすればゲームの流れさえ変わってしまうことがあります。

選手たちも必死にゲームをやっています。

私たち審判員は日頃から鍛練し、学び、きちんとしたレフェリング、そして正しく迅速な取り扱いが必要となります。

また、ローカルということもあり、選手たち、チームとの再会も楽しみです。

どのチームも応援したいですし、
若者たちがバレーボールを出来る環境を整えるのも
私たちに与えられた仕事だと私は思っています。

地域に密着した
生涯スポーツとしての延長線上にもあるわけですが

老若男女ひとつボールを介して
プレーも学び
人生も学び

同じ感情を分かち合うって

宝です。

そんなこんなの1日を経て
今日は反省会ビール行くぞと決めていましたが

母の看護を頼んだ妹から
報告のメールが入り

「おかあちゃん帰ってこないね」って言ってるって・・・・

切なくなって
即病院へ向かいました。

母は今幼児のようになっています。

だから
私は病院へ行かなくては・・・って

途中でヒロタのアイスクリームを買いました。

病室で2人で食べました。

母は「うまい」「冷たい」と言っていました。

母とこんな風に過ごす日々。

自分の人生の中の数ヶ月、数年です。

自分は好きなことばかりやって生きてきました。

四六時中バレーボールで
家を空けてばかりいました。

これからもそんな風に生きていくんだと思います。

だから
今は母と過ごすことが大切です。

今日も病室を出る時
母は「気をつけて行けよ」と言いました。
私たちはハイタッチをして
私は病室を後にしました。

つい数ヶ月前、あと2、3日の命と言われた人が

奇跡のように
またハイタッチが出来るようになりました。

表情のなかった顔に笑顔が戻りました。

私も元気になります。