母が喋る。

うわ言ではなく
会話になっている。
明らかに覚醒している。

そんな中、一族は相変わらずせっせと病院通い。
あれこれ刺激を与えてみたり、観察したり

昨日などは病室に4人もいた。

今回の入院で、今まであまり会わなかった妹や、妹家族とも頻繁に会うようになり、
面会時間が終われば食事をともにしたり

こんなことでもなかったら、おそらくこのような時間は作れなかったであろう。
貴重な時間である。


ドクターの見解では、今は安定している。延ばしていた胃ろうに踏み切りたい。またいつ落ちるかわからないので楽観は出来ないが、月曜日に再度検査をし検討するとのことでした。

延命の意味が未だに理解出来ない。
母はもう二度と口から食事をすることも、私と風呂に入ることも、車イスであってもいいからお買い物行ったり、せめて変わりゆく季節を味わうことも出来ないのか。
それが延命ということなのだろうか。

私たちはわずかな光を見ているから、延命という言葉にも同意した。

それはもう奇跡という言葉でしかないのだろうか。

ならば、奇跡を呼ぼうと、今みんなで団結している。
病院にしか出来ないことはたくさんある。
でもその中で家族にしか出来ないこともある。

母との時間は今みんなにとって貴重であり、そして母のベッドの回りに、みんなが幸せを求めて集まってくる。

そんな時間、そんな日々が偉大なる母からの最高の贈り物。