3月11日、その日私は仕事がお休みで、親知らず抜歯後の消毒のため歯医者に来ていた。消毒はものの2、3分で終わり、会計を済ませ歯医者に出た。その帰り道、ファミマ、図書館、ジャスコのどれかに寄り道しようと思い付いて、ジャスコに行くことに。
歯は若干痛かったものの、るんるん気分でジャスコに行き二階の本屋へ。
ジャンプSQを手に取り、放プリを読んでいたら何となく地面が動き始めた。家の近くのジャスコの二階と言うのは人がちょっと歩くだけで揺れるので、『ああ、人多いんだなぁ』とか思いつつ、何かわからないが瞬時に嫌な予感がして手にしていた本を戻した。そして『帰ろう』と変に焦り、一歩踏み出した瞬間、轟音と悲鳴と共に一回大きく揺れが来た。
一瞬何が起きたのか分からなくて、周りがパニックになるのを余所にその瞬時から私の頭は全てをシャットアウトし、無だけが残って、ただ大きく揺れる中を階段に向かって歩き出した。悲鳴と揺れが更に大きくなり、ただただ呆然としたまま頭をバックで庇いながら進んでいたけれどついに立てなくなり、一人床に座り込んだ。
その間、電気が消える。肩先に本が落ちてくる。ガチャガチャの機械や自動販売機が迫ってくる。階段近くのシャッター幕がガタンと落ちてくる。
目の前には怖いと泣きながら男の子に庇われてる女の子(カップル)、そこにさらに身を寄せ合う女性二人。悲鳴が飛び交う中で声も出せず一人呆然としながら動けずにいた私に、一人の女の人が『大丈夫ですか?』と声をかけてくれました。だけど私は『大丈夫です』と機械的にしか言えず、ただ耐えていた。それなのに、私の手をずっと握っててくれた。というより、そこで固まりあった皆で握りあっていた。
そうしておさまってきた…と皆安心していたら、更に大きな揺れが来て、地面がぐるぐると回って、更に皆で萎縮。漠然とした恐怖の中、このまま建物が潰れて出れなくなるんじゃないかとぼんやり考えて、心の中で何度も何度も『神様』と祈った。こんな時にだけ都合が良いななんてまたぼうっとしたまま考えて、おさまるのを待っていた。
ようやくおさまったころ、ざわつく中、目の前にはさっきよりも更に間近に来ていた自動販売機、ガチャガチャの機械が迫ってきていた。振り返ると、コミック部分の天井、スプリンクラーから水が勢いよく噴き出し、奥からは煙が上がっていた。
これは危険だ、と揺れがおさまったことを確認して私を含んだ女性三人立ち上がり、一階に降りて、サーティワンアイスクリーム屋のある食堂側の扉から外に出た。その時、カップルの姿はなかった。(多分逃げた)
ガラスの近くだったため駐車場に避難。なるたけ電柱や落下物がない場所に移動した。
依然として混乱のおさまらない周辺に、更なる悲劇はガスの匂い。そう、目の前にはガス局。そして大きなガスタンクが二つ。余震が二回三回と続くうちにどこか管が外れて漏れたのか、風に乗って匂いがこちら側に。三人、若干パニック。
でもそこからどうしていいのか分からずに、口をハンカチで押さえながら、それぞれが携帯を出して情報確認と連絡を。すると私の携帯には緊急地震速報が入っていた。全くきがつかなかった。そこで明るみになったのは時間と震度。7弱6強そんなに行ってたのかとゾッとした。連絡は当たり前にも回線が混線して繋がらない。
ガタガタと続く強い余震に怯えながらも、いつまでもここにいるわけにもいかないとなり、近くの小学校へ一時避難することに。
私は家が近くだったものの帰ろうにも高架橋沿いに、トンネルをくぐらないと帰れないので、怖くて帰るに帰れず。で、ジャスコから一時避難という選択に。
途中で一人お家に帰るためお別れした。
お姉さんと二人、近くの小学校へ避難。
そのお姉さんは最近埼玉からこっちに引っ越してきたらしく、旦那さんも自衛隊に勤めているため、一人でどうしようもないと戸惑っていた。
7、8年住んでいる私だって、こういう時どうすべきか分からなくて混乱しているのに、埼玉から引っ越してきて早々、まだ右も左も分からないままこんな目に遇ったんだからパニックになるのも当然だ。
雪が降り始め、寒空の下、賑わう学校の校庭。その日に限って軽装で、二人とも寒いとか言いながら立ってるしかなくて、とりあえずお手洗い行きますかと言って二人で長い列に並んだりした。私はその途中で弟と連絡がとれ、おとんにおかんの安否確認もでき、少し心配ではあったけれど帰ることに。
…が、やっぱり高架橋&トンネルを通るのは怖い。
そう思い、表ではなく職場の方の道に回って、少し遠回りして、ちょっと皆の無事を確認してから帰ることに。
しかしながらチラつくほどでしかなかった雪は次第に吹雪に変わり、手にしていたハズの傘はジャスコに置いてきてしまい、服も顔も真っ白になりながら職場を目指した。
横断歩道や二つの踏み切りはランプが混乱していて、踏み切りは閉じたままで、そこをくぐり、職場まで後にもう少しというときまた大きな揺れが来て、おさまったかと思えば今度はどこからともなく轟音が。それはもうパニックになって、雷が落ちてくるんじゃないかと思って近くのアパートの階段先に隠れた。
だけど光るわけでもなく、それ以上音が鳴るわけでもなく、なんだったんだろうと思いながらまた職場を目指した。
その時、もう全身ずぶ濡れ。寒くて寒くて仕方なかった。LISMOを起動するわけにもいかず、ただ怖い気持ちだけがいっぱいのまま、ひたすら歩いた。
職場にいざ着いてみると、出入り口前にYさん、Hさん、バイトさんと数名のお客がいた。お疲れさまです、と挨拶した後で、お店の中の状況報告を聞きました。
お客さんに怪我がなかったものの、やはり中は壊滅的だったと。けれど店員は全員無事だと聞いてホッとした。
しばらく祖父母の家に電話をかけてみるが当たり前に繋がる訳もなく、ガラスばかりが多い家なのですごく不安で、だけどどうしようもなくて、それから職場に居続ける訳にもいかず、帰ることに。
見慣れた道、商店街はいつになく人で溢れていた。皆それぞれに毛布やペットボトルを持ち、近くの小学校の方へ流れていく。
いつもは少ない人通りなのに小さい子から老人まで、困惑と恐怖の色を表情に滲ませて、とぼとぼと歩いていた。
お店の所々はガラスが割れ散乱し、電信柱は地面からずれ、今にも崩れそうな家や建物。どこを見ても被害の大きさは一目瞭然。
現実なのにやっぱり現実味はなくて、人の波に逆らってひたすら歩きながら、その光景が哀しくて、怖くて、次第に暗くなり始める空に、私本当に家に帰れるかなと不安に思い溜め息が出た。
だけど帰らないわけにもいかず、どんなに疲れても、歩くのを止めるわけにはいかなかず、歩いて歩いて歩いた。
地震発生から約3時間、私はようやく家に帰ることが出来た。玄関先は扉が開いたまま、二つのやかんが並んでいた。
やっと帰ってこれた、と思いリビングを覗いたら『何してたのや!』と切羽詰まった声。
真っ暗な部屋の中、蝋燭につけた火がこうこうと部屋をわずかに明かりをもたらし、親父もおかんもジャンパーを着て、突っ立っていた。
とりあえずどこで何をしていたを報告していつでも逃げられるようにと私は玄関先で待機することに。幸い水は出るらしく、何本かペットボトルを洗い、汲んで、玄関先に準備してあった。弟は親父の車で暖を取っていたらしく家には居なかった。
婆ちゃん家にはやっぱり連絡が取れなくて、おかんと一緒に大丈夫だろうかとすごく心配していたら兄貴が帰ってきて、祖父母と叔父の無事を確かめてきた、と報告を受け、安心したら気が抜けて大泣きした。
聞けば母もジャスコにいたらしい。だけど二階ではなく一階に。揺れる手前に雑誌を読んでいてトイレに行こうかと悩んでいたら弱く揺れが来て、強く揺れ、一目散にドアに向かったけど電気が切れたドアは開かなくなったらしい。
それを、先頭にいた誰かが手で開けたとか、その後すぐにどこかのガラスがガシャンと落ちてきたり『火災発生です』とアナウンスがしたとか。
そして私が歯医者に残っていると思い余震が続く中、自転車を必死に漕いで歯医者まで見に行ったと言われました。けど私はもう立ち去った後で、受付や助手さんが青ざめた顔で外で震えていたらしい。
その後家に帰ったものの、私とは全く連絡が取れず心配してたと。だから顔が見れて安心した、と言われた。
あんな強い地震の中、父親は新調したばかりのテレビを押さえて耐えていたらしい。外に逃げた弟が声を嗄らして叫んでも外に出ず、高架橋が倒れてくるかもしれないという恐怖に覚悟を決めてテレビを守っていたらしい。アホだ、と思った。
そうして家族でお互いに無事を確かめた後は、私と母と弟が近場の集会場へ避難。家には親父と兄貴とで留守番。
集会場にはそれなりに人がいて、着火式の石油ストーブが着いていて、暖かかった。だけど小さな集会場なので水以外食料はなく、お腹を空かせたまま、皆身を寄せあい、話したりして不安を軽減させていた。
そして私と同じくau携帯を所持している叔父の番号を教わり、ダメもとで電話をしたら通じ、爺ちゃん婆ちゃんの声を聞くことができ安心した。
一日の疲れがピークに達し少し横になることに。だけどやっぱり余震は続いて、地震速報がラジオから流れる度に皆で飛び起きて逃げの体制を。そんなんで当たり前にもまともに寝れるわけもなく、気がついたときには夜が空けていた。
皆疲れきったまま集会場から去っていき私たちも帰ることに。その日私はシフト上出勤日になっていたので、歩いて職場に行くことにした。
途中で通りがったスーパーにはこれでもかと言うくらいの長蛇の列。食料確保の列だと知ったのは、その列の中にYさんがいて食料を安く売っているんだと聞いた。
私は一度Yさんと離れて再び職場へ。だけど誰もいない、事務所も空いていない、でどうしようもないので帰ることに。無駄足踏んだなぁ…とかぼんやり思いながら踵を返した。
その日の夜はやっぱり電気はないので、真っ暗な中で、卓上コンロで大きな鍋で調理したラーメンを皆で囲んでつついた。その時、食べられることがこんなにもありがたいことなんだと実感して、一日ぶりの食事はすごく暖かくて美味しくて涙が出た。
そしてその日は私と弟だけ集会場に行って一夜を空かした。
多大な爪痕を残した今回の震災では建物や車や物だけではなく、津波によって多くの命をも奪い、大きな苦しみと悲しみだけを残して静かに静かに、引いていった。
11日から12日までの出来事はまだどこか信じられない自分がいて、三日目には水が出なくなって近くの小学校まで汲みに行ったし、食料確保にも並んだし、今回の震災はもちろん、震災後には今までにない色んな事を体験しました。怖さも哀しさも大変さもいっぱい知った。
テレビもつかない、携帯の充電も切れて情報が入ってこない、こんなに不安な日々は今までになかった。自分がどれだけ文明の機器に頼りすぎているか、依存しているか、その怖さもよく知った。
こうして生かされたからには、亡くなった方の分の命を背負って頑張って生きて、地震の怖さを、津波の恐怖を、語り継いでいくこと。
そして地震が起きた時の為に、家族会議をきちんとして避難場所を決めたり、食料や水をきちんと備蓄しとく必要があることも痛感しました。
以上が3月11日、私が体験した東日本大震災当日のお話です。少しでも多くの方に読んでいただき、改めて被害の大きさや地震の怖さを知っていただけたらと思います。
今回の震災で亡くなられた方のご親族様へお悔やみ申し上げます。
並びに亡くなられた方へ、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
まだ少し肌寒く、余震も続いています。
だけど明けない夜は無いように、希望さえ捨てなければ人間は何だってやれるんだ。人間は強いんだ。辛いのは自分だけではなく皆一緒なんです。
だからこそ、少しずつ、皆一緒に頑張って行きましょう。
私もめげず、挫けず、諸々頑張ります!ここまで読んでいただきありがとうございました!