選んだ“家族”との時間。ー 「ボヘミアン・ラプソディ」 | ​ 観るチカラを、生きる糧に。 ー SCREEN(私設)研究所

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ここは、SCREEN(私設)研究所。

潜在数秘術×映画で
「観る」ことと心の関係を
映画を通して読み解いていきます。

この週末、すごーく久しぶりに

ダラダラした3日間を過ごしましたわ^_^

眠りたくなったら寝る。

食べたくなったら食べる。

歌いたくなったら歌う。

踊りたくなったら踊る。




その三日間の締めに

「ボヘミアン・ラプソディ」胸アツ応援上映

というヤツに行ってみました。





(☆数秘術で映画を詠んでいます。

時折、数字が出てきますがお構いなく^_^)





何が違うったら、歌うも鳴らすもOK、スクリーンは字幕スペースに歌詞が

デカデカと表示されて

曲に合わせてカラオケ?みたいに色が変わってく


観てると、こっちが通常上映でよくね?

・・・と言いたくなるw




応援上映の方が

作り手側の意図を よく表している気がしました。


史実と違う、実際はこうじゃない、と

あれこれ検証記事なども出てますが

(あれはあれで楽しめるw)


正しい正しくない、だけで観てたら映画なんか楽しめない

(だって大嘘なんだから^_^)




ドキュメンタリーでさえ、作り手の切り取った世界なだけで。

それを観て、受け取る世界も、こちらの切り取り方次第で。




応援上映がいいのは、一緒に盛り上がろうぜ!だけじゃなく

“家族”というキーワードが

観てるこっちに一番響く鑑賞方法ね。この作品の場合。

ってこと。




…血縁、だけじゃなく

…性的嗜好、だけでもなく

…バンド、って括りだけじゃなく。




生まれる前から

生まれた後から

選んだ家族との、愛おしい時間。


(こう書いちゃうと、バンド連中の方は「うへっ、気持ちワリィ!」とか言いそうだけどねw)




メアリーと離れ、孤独を持て余すフレディは

寂しさからパーティを開く

集まったバンドメンバーを前に

まるで、来るのが当たり前♪みたいに「メアリーは?」と無邪気に聞く彼


「彼女の趣味じゃない」と斬って捨てるブライアンは、重ねてこう言う

「君は時々、本当にクズになるな」




・・・こんなセリフが出てくる関係ってなんだ?

と気になり、数字を見たらなんと!




バンド内でLPもDも二分してる!


フレディ、ジョン…LP7

ブライアン、ロジャー…LP11


フレディ、ブライアン…D1

ロジャー、ジョン…D6




そして、フレディ、ブライアン、ロジャーの三人までがS9(!)




7-1-9のフレディと11-6-9のロジャーが、お互い突っかかり合うのも納得w

前回記事で書いた“バンドマジック”も納得!

ブツクサ言い合う→なんだ、やるのか?から

なーぜーかー音合わせかセッションになっちゃうトコがウケる!

…主張の少ないS1ジョンが、うまく間に立ったんだろうなぁ。なんか分かるぅ^_^

(フレディの死後、表に出ないのも含めてね)



劇中、何度も「俺たちは家族だ」という、彼らのバンド美意識も、この三つ巴S9からかしらん?




突っかかっても。

揉めても。

離れても。

また戻ってくる、家族との時間。





(写真はイメージです)





それも、数の仕合わせ。


★★★☆☆



《かずの葉の庭》主宰

|★|高橋 早苗Facebook




前回記事

バンドは定義できない。ー 「ボヘミアン・ラプソディ」

https://ameblo.jp/parallel13/entry-12419725509.html




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