昨日
長谷川美折 写真展「Internal Notebook」
終了しました。
・・・との、詩織さんの投稿を見て
ちょっと書き留めておこうと思ったことを、備忘録的に書きます。
実際に、ギャラリーに足を運んでからこっち、折に触れ感じてたことです。
読みたい方だけ、進んでください。
まず、虐待と聞いただけで
間口は狭くなるし
足を運ぶ人は限られるよなー
なんてことを思いつつ。
まずね、《家庭は密室》だってこと。
もうちっと良さげな言葉を選べば
一番小さな地球。
だから、他人が時たま入っていっても
宇宙船が未知の星チキュウに降り立ちましたーっ!
ってくらいに勝手がわからない。
未知の世界、別世界。
…入っていった人間の、それまで生きてきた世界での理屈は、通用しない。
だから、密室で起こっていることって
外からは見つけられない。
外からは分からないんだもの。
「ぎゃくたい」と聞いた時に、大体が
わたし関係ある、って人と
わたし関係ない、って人に
分かれると思うんだ
少しでも関係あるって感じた人が
集まるし、動く。
ライブとおんなじ
ジブンに必要だって感じた人が行く
ちょいと冷やかしだろうが
何ヶ月も前からチケット握り締めようが
もとは一緒
わたし自身が《関係ある》と感じたのは
わたし自身が親との関係で「傷ついた」と感じたこと
それが、大人になっても影響し続けて
色んなことがやりづらかったこと
元は一緒だと思ったの
親との関係で。子どもの時にはそれがすべてで。
離れて(逃げて)、
ひとりになっても
誰とくっついても
親なんかいようがいまいが
ジブンの中の想いを昇華するまで
闘いは続く。
か、ある日
あれ?もう闘い終わってたんだ?
といいかげん気づくw
ギャラリーへ行った時
ボブ・マーリーの「Get Up, Stand Up」がアタマん中流れてたと書いたんだけど
彼も、奴隷制度と闘った人
その生い立ちは、白人の父と黒人の母を持ち
生まれた村でただ一人、肌の黒くない子
白人の父とはすぐに別れ
黒人の母も、仕事の為と彼を置いて外国へ
ほぼ捨てられたようなもので
唯一、音楽に出口を見出した
だから、最後まで音楽を諦めなかった
どこまでも闘った人だった
最期までね。
何であれ、ヒガイシャという括りに入る人って
どこか闘うように仕向けられてるとしか思えない。
それが、自分自身との闘いな人もいれば
そこを超えて、もっと広く周りを巻き込んで闘っていく人(社会的に活動される方のようにね)もいる。
もうね、みんないまココに
生きて息してるだけで
勇者だよ!って感じるの。
その勇姿が
誰かの励みになる
希望にもなる
だから
声をあげて欲しいなって
思います。
※クマはポーラーベアが好き♪
