先月のこの記事で
誰かの
世間の
常識の
…そんな手垢にまみれた言葉ではなく
私自身にとっての
くらしと
ジユウと
おかねと
シゴトと
えいが。
それをはっきりとさせていくのが
私にとっての今年、2017年
…と、書きました。
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今のわたしにとって
おかねは、相棒。
おかねって
人の数だけ、捉え方が違って
その人に対するおかねの役割が違うんだなぁ
と感じます。
いろんな人に会って
おかねについて話したり
自分の商品でお金を頂く経験もした
『おかねは◯◯』
と教えてくれる人にも会いました
いつも、そこで
私にとっては
(あなたとは違う)
と、無意識に
自分で自分にブレーキをかけて
受け取れなかったり
受け取らなかったり
しまいには
受け取るのが怖くなって
おかねに困る事態になったりw(・_・;
つまり、その頃の私には
おかねは
わたしの中の
《恐怖をあおるもの》
だったんですよね。
おかねって、何?
と聞かれたら
…欲しいものが買える
…あると安心できる
…暮らすのに必要なもの
なーんて笑顔で答えておきながら
深いところでは
…欲しいものが買える
(ないから買えない!)
…あると安心できる
(いくらあっても安心しない、ずーっと不安)
…暮らすのに必要なもの
(ないから暮らせない!)
なんて調子で
おかね
=あなたにしか幸せにしてもらえない
という意識だったわけ
・・・こういう話をすると
「なきゃ困るのは当然だろう」
みたいな話になったりするけど
ない(足りない)と
感じている時のわたしは
…だから不幸せ
…だからわたしは価値がない
…だからわたしは…
と、わたしの存在まで否定に入るパターンで(・_・;
おかねに
わたしの中のいろんなもの
特に見たくないものを
くっつけて見ていたのね^_^
そうしてくっつけた
色んな感情
かなしいやら
さみしいやら
せつないやら
ざいあくかんやら
そういうの、一旦
「あるねー^_^」
で見留めて
流してあげて
見留めて
流してあげて
見留めて
流してあげて
見留めて
流してあげて
(…今でもやってます^_^)
そうしてやっと、段々に
《恐怖をあおるもの》から
《相棒》に
変化してきました
役を与えたら
まぁその通りになるものよね
…今でも気がつくと
わたしの中の恐怖をあおる
敵役みたいになってる時があるけどw
その時はまた
あれこれ感じてる諸々を
「あ、あるねー」^_^
で、流す
(別名、放置w)
すると、おかねは
元々与えた《相棒》役に
戻ってきます
怖い敵役から
頼もしい相棒へ
今のわたしの
おかねとのつきあいかたです(´∀`*)
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