夏から始まって
10月初旬からはほぼひと月
毎日のように言葉が溢れ出ていた
「罪悪感」というキーワードに
それだけ反応していたのね^_^
自分の観ているものが
すべて罪悪感から創っているなんて
ま、誰でも萎えるよね(^^;
私も、もちろん萎えました
目の前の
これも
ソレも
あれも
この人も
あの人も???
自分で渡した橋を通して
That's all.と真実を告げて
チカラを
取り戻し続けても
毎日のちょっとしたことに
今までになかった真実味を感じて
嬉しくなっても
すぐに、罪悪感ワールドからキレイさっぱり抜け出すわけじゃない
まだまだ、まだまだまだまだずーっと
これ、罪悪感(からきてる?)?と感じること
いーっぱいある
と、ここで自分責めさんの悪いくせが出る
まだか?( ; ; )と
まだかまだかと
罪悪感を
すべて払拭しないと
幸せになれないかのように
考えてしまう
そう、罪悪感をすべて
なきものにしないと
幸せにはなれないと思ってる
そんな私の反応も
本音と弱音を晒すタイミングが来て、一旦収束したように感じたの
すると今度は
私を覆っていた罪悪感の殻が剥がれた後の
シンプルな<怖れ>が来たわけ
だーかーらー
罪悪感なんてなくならないし
罪悪感がなくなるまで
幸せを我慢しなくていいのよ
・・・ということは
アタマで理解していたけど
それを体で覚える為の
<怖れ>
私にとってのそれは、何かというと
甘えること。
言葉を変えれば、頼ること。だった
…何か本当にしてもらいたいことを
お願いしてみる
おねだりしてみる
それも一番言いづらい人に言ってみる
そうして、時には断られてみる
自分責めさんには、断られるということが
もうどうしようもなく
異常に恐ろしい事に見えるのよ
下手なホラーよりもね
ジェイソンも貞子もゾンビも
金切り声が響くシャワールームも
かなわないほどのリアルホラー(~_~;)
次々とやってくる罪悪感に
That's all.と
真実(それは私が作った完璧なリアル、ただそこにチカラはないわ^ ^)を告げて
チカラを取り戻しながらでも
やっぱり怖い!!!
さみしかった
ごめんね
・・・.の後は
おねがい、かよ!
ハイ、降参。
お願いしたよ、兄貴に。
フツーに断られたよ(^◇^;)
実際、怖さを感じてるのは
甘える
頼る
そのアクションを起こすまでの間だけ。
返事を待つ間だけ。
断られてみれば
嫌がられてみれば
・・・なんてことない、ただのやり取り
そして、断られても、嫌がられても
私自身は傷一つつくわけでもなく。
怖れって
ビビるって
実は
なんだ、私
大丈夫じゃん。
と気づく為だけにあるのかも
そう思えてきたら、だんだん
日々の暮らしに隠れてる怖れを
ただ眺めていられるようになる
いま、怖れてる?
いま、ビビってる?
そのうち、怖れにも見慣れてきて
あーいるいる、OK
いるわね
そうねー
怖がるわたしもいるわ
責めるわたしもいるわね
で、どうする?
(どうしたい?)
怖がって、責めて
それを何とかしようとバタバタしたりしないで
出来る出来ないとかも考えずに、ただ
どうする?
どうしたい?
そんな風に捉えられるようになった
まるで、思考と感情の仲直りのように
思考は、ただ感情を認め
認められた感情の波は
波打ち際に座り
隣空いてるよ、と
思考に場所を譲るように
そんな風に。
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