号泣ポイントは変わるー「ペイ・フォワード Pay it Forward」 | ​ 観るチカラを、生きる糧に。 ー SCREEN(私設)研究所

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観る映画が、あなたの、わたしの、人生のヒントになる。
ここは、SCREEN(私設)研究所。

潜在数秘術×映画で
「観る」ことと心の関係を
映画を通して読み解いていきます。

世界が罪悪感ベースだと知ると
映画の見方すら変わってきます



私にとっての号泣ポイントのひとつ
たとえば「ペイ・フォワード」
かつてはこの映画、私の号泣映画でした




でした?
そう、変わったの。







「世界はクソだ」と観ているトレバー
新学期の課題
Think of an idea to change our world and put it into Action!
(世界を変える方法を考え、それを実行してみよう!)

に応えて思いつく
ペイ・フォワード(次へ渡せ)



失敗したかに見えた彼の試みが
予想を越えて広まった時 彼は亡くなる



・・・ラスト キャンドルを手に手に集まる人たち
流れる「Calling All Angels」に涙腺決壊。
がパターンだった



この映画 見事に罪悪感だらけなんだけど
世界が罪悪感ベースだと腑に落ちてから もう一度観たら
ラストに号泣、とはならなかった



罪悪感に苛まれる人たちが
そこから生きるチカラを取り戻していく
そっちに目を奪われて 泣いてるヒマなかったのね^^



いちいち感じる罪悪感に
「赦し」という名のスルーで立ち向かい
どうするかを自分で決めていったから
アイリーンも
シモネット先生も
トレバーも。



じゃ 人が号泣するのはなんなんだろう?
人は何処に反応してるんだ? と疑問に感じた時
あーそうか。と。

  <人は報われなさに泣く>

だから、人が亡くなるシーン
亡くなった後の 周囲の人たちの嘆き
もう、自分のチカラじゃどうしようもできない
自分にはどうにも変えられない事実、それに
人は泣けるんだ。



分かりやすく言うなら
号泣=「助けられなかった、ごめんよ!ゆるして!」って反応だ。



じゃ、私がこの映画のラストに
号泣という反応をしなくなったのは何だ?



私自身、罪悪感から
元々私が持ってたチカラを取り戻すということを 試したから
取り戻せると分かったから。



トレバーは最後に
「世界は思ったほどクソじゃない」と言った
それは彼なりに、ひとつの<成功>をみたこと
<成幸>でも<至福>でも<幸せのゴール>でも何でもいいけど



自分の観ていた「クソ世界」に
自ら働きかけて
「思ったほどクソじゃない世界」に変えたから。




ラストで主人公が死んでしまうので
死んだら終わりと観てしまう世界観では
観ていて辛すぎて、それで
泣いてたんだな。



もし、彼が死なずにいて
「ペイ・フォワード」を考えついた少年トレバーは
アル中を克服したママと
愛する家族を持てたシモネット先生と
いつまでも幸せに暮らしましたとさ。・・・で終わったとしたら



「・・・嘘くさ。」
と感じて
それまでの罪悪感まみれのお話にも、リアルさを感じず
心惹かれもしなかっただろうからね^^



そう観ると
<泣く>という反応
悲しむという感情も必要なのだと分かる
ただ、泣くのは悲しみだけじゃない




長くなるので 続きを明日(´∀`)



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