さなえ と sana ー 早苗蓼の、つぼみ以前の話。 | ​ 観るチカラを、生きる糧に。 ー SCREEN(私設)研究所

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潜在数秘術×映画で
「観る」ことと心の関係を
映画を通して読み解いていきます。



こんばんは。
さなえ@映画ソムリエール です。

自分の名前が好きになれない。というお話を頂いたので
私の名前のこと、書きます。



ばあちゃんが名付け親だったら、違う名前だったかも、という話を
以前に書きましたが
自分の名前。嫌いでした。

早苗(さなえ)という名前が。…という話です。



特に、親から下の名前を呼ばれる時は 
叱られるか怒られるか文句いわれるか殴られるか
いいことなかった。
…嫌なとこしか記憶しなかった この無意識。



小学生になり 誰かがつけたあだ名「さな」を
自分の名前だと喜んだ

そのあだ名を呼ばれる時は
いいことあったから。

家では、そのあだ名は通らなかったから。



10代、「さなえ」の由来聞いても
茶化した、バカにした返事しかもらえなかった。
…と、これまたイヤ~なものとして記憶した この無意識。



だから、「さな」を自ら進んで名乗るようになった。
居心地のよさに浸ってた。

そうして、ホントの名前「さなえ」を すっかり心の隅に追いやってしまった。
どこかで名乗る必要がある時は ヘーキそうな顔しながら
縮こまりながら名乗ってた。
そんな自分を、おかしいとも思わずに。




母は突然逝ってしまったから
何一つ聞けなかった いや聞き逃した


 私を産んだ時、何を思ったのか
 名前を「さなえ」決めた時 どんな気持ちだったのか
 初めて「さなえ」と呼んだ時 何を感じたのか

何も聞けなかった。



…遺品の中に、日記があった
怖くて読めなくて、でも捨てられなくて



あの家を出る時 意を決して、開いてみた。

細かいことはもう覚えていないけど 母の記した文字は
毎日を必死に生きてる ひとりの人の言葉があった


愚痴も嘆きも憎しむ言葉も あったけど
読んだ私が感じたのは 愛だった
行間に溢れていたのは 生きる喜びだった


読んだ日記は、燃やした
数年遅れだけど、母に届けばと思った。


…いや、終わりが突然だっただけで
彼女は精一杯生きたんだ 日記よりも何よりも
一生を 全うしたんだ

そう思って、自分のこと 何やってんだか、と笑えた。



誰だって、母から産まれてきた
その時 名前を授かった
その名を呼ばれて 無条件に応えていた時が あったはずなのに

親を選んで 生まれる日を選んで 名前も選んで
この世界に来たのに



…人って、余計ないらないもの いっぱいくっつけて
勝手に嫌いになるんだなぁ。自分ばかりか、名前まで。



今は、好きですよ。
ええおかげで、大好きになりました。
「さなえ」も「sana」もね^^


【早苗蓼 さなえ‐たで〔さなへ‐〕】
タデ科の一年草。
田のあぜなどに生え、高さ30~50センチ。
茎の節は太く、赤みがかる。
5月過ぎ、田植えのころに赤みを帯びた白い小花を密につける。



今ならいえる。
名前嫌いなんて、人生損してるよ。
自分の名前が嫌いなうちは、他の何を欲しがっても 得られないと
そう思います。



もう、私たちは オール無意識で生きてた
3歳の子どもでは ないのだから。


↑↑↑ この、右にちょっとだけ写ってるのが
チハルばあちゃんね。





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