それで、生きてくー「大人は判ってくれない Les Quatre Cents Coups」 | ​ 観るチカラを、生きる糧に。 ー SCREEN(私設)研究所

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潜在数秘術×映画で
「観る」ことと心の関係を
映画を通して読み解いていきます。

 【マニア:mania,maniac】
 普段から自己の得意とする専門分野に没頭する生活習慣を持つ人物。 特定の事柄ばかりに熱狂的な情熱を注ぐ者や、その様子を称して言う。
 マニアの語源はギリシャ語で狂気(madness)のことであり、自身の趣味の対象において、周囲の目をも気にしないようなところもある事から、「~狂(きょう)」と訳され、ほぼ同義のものとされる。






もう、観るのは何度目だろう
「大人は判ってくれない」Les Quatre Cents Coups
 
 
フランソワ・トリュフォーのデビュー作
そして彼自身の自伝的作品として有名ですが、
彼自身が
彼自身の両足で世界に立つためには、
避けて通れない
必要な表現だった
というのがよくわかる作品です。
 
 








 
12歳のドワネル
彼の世界は
 冷たく当たる母親
 父親になりきれない継父
 寝床で聞くのは二人の喧嘩
理解してくれる大人がいない世界は、息苦しく
唯一「好き」と言えるのは映画だけ。
ことごとく、学校や社会の規律からはみ出すドワネル
 

 
両親は、彼の少年鑑別所行きを望み
母親は
「もうあんたを引き取らない」
と言い放ちます


そんな母の顔を見つめるドワネルの表情は
もう誰も頼れない
自分しかいない
怯えることすら忘れたような
大人びた顔。
 
 
有名なラストシーン
鑑別所を逃げ出したドワネルが、走り続けて
海を見つけ、波打ち際まで走り寄り
波に足を浸し、行き場をなくして振り返る
 
 僕を、どうするの?
 
とでも言いたげな顔。
 


初めてこの映画を観たときは
なんで逃げるの? どうせ捕まって叩かれるのに
盗んで持て余したタイプライターを どうして元の場所に戻そうとするの?
捕まえてくださいと言わんばかりに


…と、思って観ていました。
ドワネルの あまりの行き場のなさに
悲痛な面持ちで スクリーンを見つめていた。



昨年秋に更改された「フランシス・ハ」を観た時
この「大人は判ってくれない」で有名な曲
「École Buissonnière」が使われていて

それを聞いた時、アントワーヌ・ドワネルが見ている世界が
すごくよく、わかった気がしました


↑フランシスも、相当にはみ出してる女の子なのですが^^:)



オタクな僕も、ハンパな私も
それで生きてくしかないでしょ!というね。
下手に隠さず
認知されるまでその無軌道っぷり
出せばいいのよ!



この子ども時代を経て
“映画オタク”トリュフォーは
映画監督になるわけですね。

映画に限らず
自伝的作品を残す表現者は多いのですが
少なからず
「過去との決別」といった要素が強い。

 
 過去の自分はこうでした。

 
を作品として晒し、認めてしまって
自分自身を名乗り
世界に立つ。
 
 
“オタク”を名乗りきれない方、
自己価値の低さを自認しつつも
動けないといった方、
一度
「大人は判ってくれない」
観てくださいね。





彼をみて「かわいそう」とかいってるうちは
まだ、ぬるいのよ。




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