フィオナ・タンといえば
2011年暮れに
東京都現代美術館で観た、
東京アートミーティング第2回[SANAA・MOT共同企画]
「建築、アートがつくりだす新しい環境 これからの“感じ”」
《Cloud Island》
というヴィデオ・インスタレーション作品で、初めて存在を知って。
瀬戸内海・犬島、豊島のいまを追いかけたフィルムに
やたらめったら 切なさを覚えたことが忘れられない。
震災あとに初めて出掛けた展覧会で
まだ、私の中で、色んなことにどこか持て余してる感もあって。
島の人たちの姿がそのまま映し出されているのは
繁栄の姿と いまと
映っているのは じいちゃんばあちゃんばかりで
勝手に切なくなって 力強さも感じて
とにかく目が離せなくて 立ち去れなくて。
(そしてあの時は、その後に観たヴェンダースのインスタレーションにすっかりハマり、テンション上げて帰った記憶が^^)
そのくせ《Cloud Island》の
あの静謐な感じ
何も説明などしない うるさく訴えかけもしない
だけどやたら気になる 彼女の作品の静けさが すごく私の中に残っていたのでした
だから、先々週の打ち上げWEEKにどこかで 開催中の広告を見かけて
あの“風船リフト”が 私の脳内にしっかりインプットされてしまったw
今回は展示作品と共に、ドキュメンタリー映像も映画館で合わせて上映とくれば
観るしかないでしょ。
あの静けさの中に、どっぷりと浸った♪
会場に足を踏み入れると
自動ドアが開いたすぐそこに
地に足がつかない、つきそうでつかない
足元だけが映った
小さなモニター
奥へ進むと
“足元”の全体が見える
《リフト Lift》
彼女自身が浮遊する
カラーとモノクロ
映像と画像とプリントと
いままでの視点をゆるやかに越える
まさにリフト。
一気に、彼女の世界に引き込まれる
《ディスオリエント Disorient》は
ふたつのスクリーン
ふたつの映像
ふたつの音ーひとつは音楽、ひとつはナレーション
どっちを眺めても、はす向かいにあるもうひとつが 入り込んでくる
カオス!
中東の人たちの暮らしを追ったドキュメンタリー的な映像
もうひとつは
古い エキゾチックな
世界のすべてが詰まった骨董屋みたいな
極彩色の 不思議な場所
重なるナレーションはまた違うもので
渋すぎる声で淡々と語り続ける
何か迫ってくるような 追われるような
これもまた不思議な感覚
時間と
言葉と
空間と
文化と
ズレのような、歪みのような
スクリーンの前に立つ人は
立ちたい場所に立つ
座りたい場所に座る
居たいだけ、居る
人は見たいものだけを見る、をリアルに体験。
《プロヴィナンス Provenance》は肖像
いくつもの画の間を行き来した
家族の数だけ、これがあったら面白いな、なんて感じながら
いくつものポートレイトの間を振り子のように振れながら眺めていた
《インヴェントリー Inventory》
これは、ひとつの対象を
35ミリ 16ミリ
スーパー8 8ミリ
ディジタル・ビデオ ヴィデオ8
の6つの機材で撮り
6つの異なるスクリーンに映し出している
画質やタッチの違いに
気づく人、何とも思わない人
誰の前にも開いている
パラレルワールドの扉みたいな
6つのスクリーン。
『メディアは、私達が受け入れることのできる「現実」の再現に「接近」するためのツール』
と彼女自身が言うように
どの映像も
彼女が観た世界の「翻訳」
最後に観たドキュメンタリー
「影の王国」
彼女の投げかけ
《世界がひとつのアーカイブだったら・・・》
世界は
見たいものと
見逃したものと
見たくないもので出来ている
あなたの世界も
間違いなく
東京都写真美術館