「好きは、自分を信じる原点の感情」この言葉に惹かれて、手にとった。
何かを選ぶ時、いつもそうだ
「好き」
という感情が入り込む。
これがないと困るとかあると便利とかカワイイとかいうのとは別の
「好き」
というシンプルな感情。
それで決断すれば良いが、ふと迷い出してしまうとこれが結構決まらなかったり、する。
初めての海外旅行、中近東の旅で、衛生面が気になり手にいれたという手のひらに載るほどのコンパクトな携帯用ガスコンロ。
毎日口にするものを生み出す自分専用のキッチンが、身体を病気から守る基本であり
歓びの源だと信じている
世界で一番小さなキッチン。もう、究極でしょ。
旅は終始選択の連続でそれは毎日の生活だって同じ筈なんだけど
言葉や習慣の違った環境が更に強く“選びとる”作業を意識させるものなのだろうか。
そこまで“ない”生活を経験すれば、少ないモノでも暮らせるのかな。いや、選び抜いたから少なくても満足なのよね。
リネンが豊かさの象徴であるヨーロッパ
大枚はたいて麻のシーツを買ったイタリア男の話。
彼は毎朝それを洗って丁寧にしわを伸ばして干して、夕方乾いたらアイロンをかけてその同じシーツに毎晩くるまれて寝るのだという。
・・・真似できない・・・てか、雨で乾かなかったらどうするの?素朴な疑問。
ただ、その“豊かさ”はなんとなくわかる気がする。
著者は言う
自分のスタイルがなんだか分からないでいるうちは形あるものを無理に求めないで
一枚の素晴らしいシーツを手に入れなさい
その素晴らしいシーツの気持ちよさにふさわしいインテリアを
少しずつ形にしていけばよい、と。
バスルームに空調は必須、と浴室乾燥機を
“後付けは醜く、ことさらは貧しい”
と切って捨てたり
旅の荷物に人生をなぞらえ
“収納がテーマの住まいに未来はない”
と言い切る著者の選択は、清々しくも感じる。が、真似はできないな。
・・・真似する必要はないんだった。
ない生活を知っている人の
“ない”生活。生き方といった方がいいか。
走り続ける旅、“天国の風景”シークレット・ガーデン・・・世界中どこにいても
自分の“好き”を確認するように
自分の“好き”と出会っていく。
一組の上質なシーツで得られる精神的な充足感。
それに見合う暮らしをつくり上げていく時に、自分の中の“好き”はきっと行く先を示してくれる。
さぁ、もう少し突き詰めてみようか。
自分を信じて。
