Episode.12 "ポイント・オブ・ノーリターン"
「今日の真魚くんの予定を知らないかい?」
そんな恭介からの電話に対して「は?」の一文字が口を突かなくてよかったと渡は心から思った。「バイトでもないなら女子高生のプライベートですよ」なんて冗談は論外だろう。そう断言出来るほどに彼が焦っているのが声音だけで分かる。
「多分特異点Fかと。キョウカとの戦いで消費した分のエネルギーを補給するって」
何より自分が持ち得る答えが恭介の疑念を悪い方向に強めるものであることに渡は薄々感づいていた。
「それは一人でかい?」
「いえ……ついでに誰かと話をするとか……すみません。誰かまでは」
「いや、いいよ」
電話口から聞こえる深い溜息はこちらが持つ少ない情報だけで最悪の確信を抱いた証。彼の脳内ではその確信までの筋道がきれいに整っているのだろう。何せ渡自身も口を開く度に抱きたくもなかった猜疑心が燻るのを自覚するレベルなのだ。
「何か、あるんですか」
「いるんだよ。もう一人裏切り者が」
その名前を告げられてから数秒立たないうちに渡は電話を切った。いつもの集合場所に合流する手間すら惜しい。手近な場所から特異点Fに行かなければ取り返しのつかないことになる。持ち得る情報が違っても、その確信だけは恭介とまったく同じだった。
砂交じりの風に何度かせき込みながら真魚は契約相手が元気そうに跳ね回る姿を眺める。砂地が苦手そうな見た目に反してアキが元気な理由はその口元から零れる砂状の物質。既に彼女の満足のいく食事は済んでいる以上、探索目標もなければ次への準備と割り切って帰っても何ら問題はない。それでも手持無沙汰に契約相手の姿を眺めているのはまだやるべきことが残っているから。そしてそれは叶うのなら可能な限り後回しにしたい類のものだった。
「――用は済みましたか?」
「あ……いや、これから」
もう一組の同行者の催促に真魚は重い腰を上げる。覚悟は決めていた筈だ。ここまでの行動もこれから自分がすることも自分が動くべきだと思ったが故のもの。嫌というほど節穴だと分かった筈の自分の目でもピントが合うことがあるのか。それを確かめるためにここに一対一の場を設けたのだと自分を奮い立たせる。
「私らあの面子の中では仲いい方だよね」
「急に何ですか? まあ、同年代ですし、バイト先も同じですから」
「それは照れ隠し? まあいいわ。私らの仲に免じてちゃんと答えて」
独特な口調も要領を得ない会話も今は頭に入らない。表面上は今までと同じ態度の筈なのに決定的に何かが違う。その違和感はきっとお互い様で、それぞれ抱えている思惑が双方から漏れ出しているだけのこと。互いに上手く取り繕える程大人でもないから居心地の悪い雰囲気の中でじわりじわりと退路を塞ぐ形になる。それでもいずれは決定的な隔絶に行きつくことに変わりはない。
「キョウカとの戦いの間、どこで何をしていたの――椎奈?」
意を決した問いに対する綿貫椎奈の一挙手一投足が真魚にはすべて胡散臭く見えていた。右手で隠した口元はどんなかたちに歪んでいるのか。眼球の揺れが小さいのは動揺するに値しないことだからか。今彼女が浮かべている表情に本心はどれだけ滲み出ているのか。
「巽さん達と合流しようとしたんですよ」
「でも実際はしてない」
「少々トラブルがありまして」
「随分長引いたのね」
「ええ、大変でした」
「よほど大事な用事だったのね」
「そうですね。本当に大事な用事でした」
あまりに空虚な言葉の応酬。表面上は問答が成り立っているように見えても、最初から答えが分かっているのならその行動に意味などない。だがこうして無駄に時間を潰さなければ、ここまで口にしていなかった疑念がすぐに確信へと変わってしまう。そのためにここに来たはずなのに、欠片でも臆病さが残っていることを自覚して真魚は自分が嫌になった。
「それが聞きたくてわざわざ呼びだしたんですか?」
結局痺れを切らしたのは椎奈の方。だが彼女もその言葉を口にする頃には顔を伏せ、真魚の回答が返ってくるまで地面に落とした視線を戻そうとはしなかった。
「天城さんの件があるから本当のことを知りたいの。力づくでも構わないから」
表情を伏せているのは後ろめたいことがあるから。それを暴くために自分はここに居る。結論が見えた以上、真実に怯える意味もない。
真正面から叩きつける真魚の言葉は今度こそ紛れもない本気のもの。アキの目はピーコロさんの姿を捉え、口はすぐに声を出せる準備を整えている。それはさながら必殺の脅しの銃口。望む答えが得られなければ、契約相手に自死させることすら厭わない覚悟そのものだ。
「そうですか。本気なんですね」
椎奈の言葉に真魚の覚悟への称賛は存在しない。漏れる溜息は嘲笑にも似て、伏せた顔を隠すように持ちあがった左手は握りつぶすように前髪を掴む。失望と怒り。椎奈が顔を上げるまで、彼女のその類の感情を向ける様を真魚は一度も見たことはなかった。
「……はぁ、ここまで馬鹿だとは思わなかった。ああ、見抜けなかった間抜けは私か」
そして、椎奈は仮面を脱ぎ捨てた。乱暴に掴んで掻き上げた赤みがかった長髪は隔世遺伝の天然ものでささやかな誇りだったはず。そのことを二人だけの秘密だと気恥ずかしそうに話してくれた彼女は今、羽音が耳障りな蚊でも見るような目で真魚を睨みつけていた。今までの丁寧な言葉遣いを捨てた乱暴な口調には端々に漏れていただけの辛辣さを隠す気もない。
真魚も椎奈の仮面には薄々気づきながらも個性として受け止めていた。ただその奥にあるものの刺々しさは予想を超えていた。
「ちょっと待って……それが椎奈の素ってわけ?」
「何か悪い? こっちは無駄話する時間ないんだけど」
ギャップに困惑している猶予などない。それが真魚に椎奈が与える最後の忠告。本性を出した瞬間から、椎奈にとってもう真魚は仲間ではなく標的となった。その意味を真魚はまだ正確に理解できていなかった。
「なら本題に」
「話す時間はないって言ったんだけど。――もういい。さっさと始めて」
一方的な宣戦布告。素直に質問に答える気がない以上、力づくで椎奈に問いただすしかない。椎奈が戦端を切るのと同時に真魚はアキに発声許可を出していた。響く音色は対象の自由を奪う第一曲。ただ一体に捧ぐための歌は対象を絞っている分その効力も強くなる。同じ進化段階が相手ならば聴き入ったその瞬間に詰みだ。――観客が席に座っていればの話だが。
「一対一なら能力で人質に取れると? 自惚れ過ぎ」
アキの口から声が出るコンマ二秒前にピーコロさんの姿は消失していた。真魚もピッコロモンという種が持つ瞬間移動の能力を失念していた訳ではない。歌い始めてからアキは裏を取られないように絶えず移動しつつ、声音を変えて効果範囲を拡大し反撃に備える。だが反撃が来ることも観客が現れることもない。ピーコロさんの瞬間移動の範囲を真魚は正確には知らないが、結局は戦場から離れたかどうかのニ択。ピーコロさんが次に仕掛けるタイミングが分からない以上、アキは常に歌声を響かせなければいけない。
「もしかしてアキの喉が枯れるまで時間稼ぎするつもり?」
「は? だから時間ないって言ってんでしょ。心配しないでもそいつはすぐに真っ二つになるから」
「爆破するの間違いでしょ」
そもそも椎奈が口火を切った段階で、先に銃口を突きつけられていても先手は椎奈の側にあった。言ってしまえば状況以前の話で、それを組み立てるまでの精神的な面で椎奈は一歩先を行っている。真魚は仲間に問いただすためにこの場に降り立ったのに対し、椎奈は標的を仕留めるためにこの場に居るのだから。
「間違ってるのはそっちの前提だっての」
椎奈がそう吐き捨てた三秒後、真魚の目前で爆弾が爆ぜる。攻撃手段を考えれば歌の効果範囲外である頭上から爆弾を投下するのは真っ先に考えられる一手。だが想定していたのはアキの頭上からの攻撃であって、自分には仕掛けられないと真魚は考えていた。そもそもX-Passのバリアで護られている自分にモンスターの攻撃は通らない。つまりこの爆弾の目的は攻撃ではなく目くらましと爆音による歌の妨害。一発限りではなく断続的に投下される以上この爆弾が本命でないことは間違いない。爆発に紛れて距離を詰めて本命で叩く手筈。分かりやすい程の一転攻勢だ。ここに来て馬鹿みたいな力押しに出るのなら選曲を変えるまで。
椎奈の目前まで距離を詰めて歌うのは第三曲。歌声が変化した物理的な音波弾は椎奈を守るバリアに悉く弾れてアキの周囲を不自然な軌道で飛び回る。
命中すれば別の敵にも必ず命中する。音符弾のこの特性により、一見やけくそに思える音符弾の無駄撃ちも全方位に対する防御陣と化す。――それを理解したうえで、椎奈はアキの奮闘を鼻で笑った。
「――え?」
何かが爆煙の中に飛び込んだ。真魚が視認できた事実はそれだけで、後に何が起こるかもそれに対してどう対処するかべきかも分かりはしなかった。
アキに指示を飛ばすより先に爆煙は晴れ、アキ自身が展開した跳弾の防御陣は既に役割を終えたのか見る影もない。真魚が確認できたのはグランクワガーモンのクロム――秋人の契約相手の両顎に捕らえられている自分の契約相手の姿だけだった。
「悪いな、嬢ちゃん。最初っからタイマンじゃねえんだ」
「くろ、きば」
クロムとその上で笑う秋人こそが真魚が間違えていた前提。本性を晒すことを決めた以上、椎奈は標的を仕留めるために手段を選びはしない。晴彦の裏切りが明らかになった翌日には自分の素性が暴かれるのを考慮して本当の仲間と話をつけていた。この場に立った段階で、準備も覚悟も真魚は椎奈に何手も遅れていたのだ。それが一番の敗因。それを取り返す機会を与える程、この世界もそこで戦う者も甘くはない。
「相方の死に目くらい見てやんな」
「待って、やめ」
閉じる黒のギロチン。胴から分かたれた上半身は軽く跳ねた後にクロムの頭上で現れたピーコロさんが杖で串刺しにして回収し、残った下半身は体を逸らしたクロム自身の口の中に収まる。
「なん、え、うそ……」
呆気ない最後に真魚はただ地面にへたり込み、言葉にならない声を零す。契約相手を失ったことはどう足掻いても否定しようがない。X-Passからは契約時から輝いていた色が抜け、自分の中の軸が一つ消えたような虚脱感が身体を覆っている。最早彼女には新たな契約相手を探す気もこの場から逃げ出す力も残ってはいなかった。
「――想定より時間が掛かりましたね」
「誰の尻拭いだと思ってんの?」
無気力なまま見上げる空には成熟期相当のデクスが四体。日頃見る荒々しさからは遠い落ち着いた所作の理由はその背から降りた四人が飼い慣らしているからだろう。
「そう言うな。上手くいったならそれでいいだろ」
「アルがそう言うなら、まあ」
「あれ、機嫌直った?」
「リタうっさい」
裏切り者第一号の晴彦を除いて、二人は恭介から報告を受けたアルという男とリタという少女で間違いない。
「で、真魚で合ってた?」
「――ああ、確認した。椎奈、申し分ない働きだ」
「それはよかった。神父さん残念。減らず口には乗らないって」
「最初から私は異を唱えるつもりはないが」
「顔真っ赤で言っても説得力ないから」
残り一人は空軍パイロットに似た装いの上に分厚いマントを羽織った男性。そのシルエットと僅かに覗く肌から、アルよりは年上の日系であると見当はつく。だがゴーグルで覆った目元のせいで顔立ちや表情までは読めない。分かるのは椎奈達から本当の仲間意識と敬意を持たれるリーダー的存在であることだけ。ただ、真魚の虚ろな目は彼に妙な既視感を覚えて視線を逸らせなかった。
「そこらへんにしておけ。遥か遠方からの客人だ」
真魚を取り囲む裏切り者とその一派はリーダーの言葉で口を閉ざして彼と同じ方向をまっすぐ見据える。釣られるように真魚が視線を向けた先には契約相手を駆るコミュニティの仲間達がこちらへと向かっていた。力が抜けて声が出ないのが今の彼女にとって唯一の救いだろう。この状況で一番会いたくない存在に何を言ってしまうのか分からないから。
「アキは……お前ら、真魚に何をした!?」
中でも一番聞きたくない怒りの声が耳朶を叩く。どうせ感情を露わにして怒るのなら、奴には自分自身への理不尽に怒ってほしかった。