秘蜜の置き場 -16ページ目

秘蜜の置き場

ここは私が執筆したデジモンの二次創作小説置き場です。オリジナルデジモンなどオリジナル要素を多分に含みます。

Episode.15 "誰が為の代償行為"




 互いに喉元に向けた竹刀が剣先で擦れ合う。それは相手を叩くための武器であると同時に気配を探るセンサーとしての役割も担っている。
 細やかな摺り足で距離を測りつつ、剣先を僅かに上下して反応を伺う。狙うのは張り詰めた集中の間に意図せず生まれる僅かな弛緩。自分よりも探るような動きは少なく、ただ静かに構えているだけの相手だからこそそれを見つけるのは難しい。
 だからこそ一瞬でも隙を逃さないように眼を見開く。足運びもすぐに攻めに移れる程度には馴染んできた。後はようやく戻ってきた勘を信じて、最速且つ最短距離で竹刀を振るうだけ。重要なのはそのタイミングのみ。
 糸を手繰るように細やかに揺さぶりを掛けること十秒。こちらが痺れを切らしそうになるタイミングで機は訪れた。
 僅かに浮き上がる相手の剣先を目で捉えた瞬間、染みついた記憶に従って全身が稼働する。
 軽く浮かした左足踵を短く跳ね上げるのに合わせて右足を踏み出す。弾丸のように速く力強いその一歩に乗せるべきはやはり速く力強い一振り。柄の末端を握った左手を軽く前に出す反動を起点に、手首のスナップを活かした鋭い軌道に乗せて剣先を振るう。
 ブランクを考慮せずとも理想的な一太刀。正中線を通って面を捉えれば一本を取れただろう。
 だが悲しいかな。そうはならないことを渡自身が痛感していた。面を打つべく剣先を上げようとしたその瞬間に。
 自分よりも速く目的地まで迸る相手の剣先。狙っていたゴールが違う以前にそもそもスタート地点から相手が先を行っていた。

「メェェェァッ!」
「コォティァァァァッ!!」

 誘われた。そう気づいた頃には渡の右小手を鋭い衝撃が襲い、最短距離を駆けていた筈の渡の剣先は空を叩いていた。
 もはや下手に追撃する気も起きない。小手を叩いた後の動作もきれいに決められた一本を大事にするように油断なく丁寧で、残心という言葉のお手本と言っても過言ではないと思えた。

「わりと動けるな。このまま掛かり稽古するか?」
「もう部員じゃないので勘弁してください」

 異臭を放つ防具の内側で全身汗だくになりながら棒切れで叩き合うような野蛮極まる拷問を続けることは帰宅部に慣れた渡には無理だった。

「はぁ、ふぅぅ……」

 正座して面を外し、目蓋を閉じて黙想に耽る。とはいえ稽古の反省をする気もなく、ただこの苦行を強いられた経緯を追想する。

――久しぶりに稽古をつけてやる

 クラス担任兼剣道部顧問の白田しろた 秀一しゅういち に呼び出された渡は予想外の申し出に回答を窮した。
 剣道部に所属していたのは入部してから三か月だけの話。中学校では県内大会で警戒される程度には慣らしたが、今さら青春を費やす気にはなれない。ただ言い寄られるのは自業自得だと思う根拠もある。友人の手伝いで道場の掃除や竹刀のメンテナンスをしていたのが、中途半端に関わる態度として目に余ったのだろう。
 そうこう思案を巡らせたところで、黒豆のような瞳はこちらの拒否権を許さない様子。ほどほどに付き合ってみて度が過ぎれば出るところに出よう。そう覚悟を決めて道場まで引きずられたのが三十分ほど前のことで、実際に打ち合ってみて得たのは程よい疲労と分不相応な無力感だけだった。

「久しぶりにやってどうだった。悪くないだろ」
「剣道そのものは。ただ元部員を今更痛めつける神経は疑いますね。戻る気なんて起きるか」

 柄にもなく達成感に満ちた顔面に竹刀を突き刺したくなる欲求をぎりぎりのところで堪える。剣道部としては三か月で縁を切って以降、今日のような暴挙に出るのは初めてだった。一年からの付き合いで人となりは分かっていたつもりだった。
 無精ひげと隈の目立つ常に疲れてそうな風貌で職員室では新聞を広げている姿をよく目撃したものだ。ただ新聞は新聞でもスポーツ新聞で、読んでいるのは授業に使えそうな経済のページではなく、生活費を賭ける競馬のページ。賭けの結果で一喜一憂する様を生徒から笑われるユルさと、見た目に反して意外と親身でフレンドリーさから意外と生徒の評判も悪くない。
 その一方で剣道部の連中からは慕われているというよりは畏れられていた。授業中やホームルームでは表面化しないが、放課後が近づくとひりついていくのが分かった。そもそも三か月程は自分も同じ立場だった。剣道部の稽古はそれほどにハードで、白田はそれだけ熱意を籠めて剣道部の顧問を務めていた。
 要するに剣道部として関わらなければ親身な先生としての付き合いで終われる相手。辞めた身としてはまたあのひりついた感覚を味わうことになるとは思っていなかった。

「で、何がしたかったんですか?」
「あれだ。正々堂々戦えば分かり合えるってやつ」
「何言ってんですか? 実際何かわかりましたか?」
「いやー……やっぱり言葉で聞いた方が早いな」
「ふざけんな。あ、間違えた。ふざけてますか」

 真意を質した渡だけが煮え切らないのならただ単純にしばかれ損だ。話し合いで済むなら竹刀を交える必要もないし、話し合う場が欲しいのなら適当な理由をつけて放課後に呼び出せばよかっただけの話だ。ただ久しぶりに稽古をつけたいというのが先に来ているのであれば、それはもう別問題で返す言葉もなくなるが。

「なんか……悩みとかないか?」
「質問下手すぎません?」

 防具なしでもう一戦交えようか。負け戦に挑みたくなるほどに沸騰しそうな感情をなんとか抑える。本人は至って真面目で親身になって聴いているのだ。そう言い聞かせて冷静になったところで別の問題が浮上する。
 渡が抱えている一番の悩み。それは自分が未来にやらかして人類をモンスターの危機に晒して荒廃した世界に変えてしまうというXの証言だ。
 所詮は敵対者の発言。あのタイミングで口にしたという点では他の連中をレジスタンスに勧誘するため仲間割れを誘導したという面もあるだろう。だが信じるに値しないと割り切るには奴の言葉や態度は真に迫っていた。何より渡自身がそうなりえると思ってしまう程度には根拠を持ってしまっていた。
 当然すべての内容を話すことはできない。そもそも質問に対して答える義務もない。そう、義務はないのだ。

「分かりましたよ。話せることは少ないですけど」

 ただ、権利はある。正直言えば誰かに打ち明けたい欲求はあった。それがかなり主題をぼやかした抽象的な説明でしかできないとしても、一片でも抱えているものを共有できる相手は欲しかった。

「例えばの話です。もし未来人が来て、『お前は未来で人類を脅かす大罪を犯す。だから今のうちに死んでおけ』と言われたらどうします」

 要点を押さえた結果、口にした問いは想定より直球なものになった。ただ内容が内容だけに額面通りに受け止められるとも思えない。

「んー……自殺志願者なら違うことをこっちから聞くことになるが?」
「死にたがりに見えますか?」
「幸いまだ死にたくないように見える」

 生憎まだ人並みの生存欲求は残っている。死にたくない。というよりはまだ死ねない。やりたいことは山ほどあるし、やらねばならないことは潰されそうなほどある。借りや恩義は出来る限り返さなければならない。それが何に対するものであっても。

「俺の目が間違っていなければ、最初から答えは一つだろう。死にたくないなら死なないようにすればいい」

 そのために足掻くことを白田は肯定した。教師の立場として生徒に「死ね」とは言えないだろうが、その建前が無くとも同じ答えを口にすることは間違いないと思える程にその視線はまっすぐ渡を見据えていた。

「言葉を無視しろと」
「私からすればその未来人の言葉より弟切の今まで行動の方が信用に値するが」
「俺の……?」

 ただ自分を肯定されることが今の渡にとっては寧ろ苦痛だった。白田が信用に値すると言った自分の本質は渡自身が今最も忌むべきものなのだから。

「先生って案外人を見る目ありませんね」
「俺を裏切る予定でもあるのか?」
「全人類に対してなら」
「大きく出たな。だがそれは未来人とやらの発言だろう」
「その未来人の言う通りの人間なんですよ、俺は」

 強がってニヒルに笑っては見たものの、薄っぺらい仮面はいつ剥がれるかわからない。正面から向けられる視線はそんな胸中を見透かすようで、次に白田が口を開くとき自分が爆発することは容易に想像できた。

「そこまで言うだけの根拠はあるんだな」
「あるから困ってるんですよ!!」

 結局のところ、問題の根幹はそこにある。未来人――Xの言葉を信用に足ると感じる程度に渡は自分が歪みを抱えていることを理解していた。

「なら、それを潰せばいいだけの話じゃないのか?」
「簡単に言ってくれますね」
「それくらい単純でなければ他の要因を考えるべきだろう」
「言わんとすることは俺だって分かります。……でも俺が抱えている根拠は多分簡単だけど根深いんですよ」

 それが出来れば苦労はない。その言葉を口にする資格を得るには本当の意味で胸の内を明かさなければならないが、そこまで開き直れていれば白田に察されるまで抱えることもなかっただろう。

「具体的なことは言えないんだな」
「まあ、理解されることでもないでしょうし」
「拗ねられるとこちらも言えることが無くなるんだが」
「拗ねてませんよ。必要なくなっただけです」

 結局のところ、納得いくまで自分と向き合って答えを出すしかない。幸いそのために必要な情報源には心当たりがある。自分の過去と未来が世界の未来に繋がるという戯言を信用できてしまうのなら、敢えてこちらからその裏付けを取るのも悪くない。

「まあ生きてればそのうち割り切れるだろう。命あっての物種だ」
「そんなものですかね」
「そうあれたらいいと思う。何がそのきっかけになるかも分からんからな」

 結果として反証できる根拠が手に入れば御の字。絶望的な事実しか残らなかったとしても、今よりは晴れ晴れとした気持ちで結論を出すことが出来るだろう。

「ありがとうございました。少しは足掻いてみようと思います」
「それでいい。まあ、どうしようもなくなったら手を貸してやる」
「そうならないように頑張りますよ」

 お節介なクラス担任との無駄話はこれで終わり。そそくさと借りものの防具を片付け、胴着をサブバッグに突っ込んで道場を後にする。

「割り切れなければどん詰まるだけだ」

 去り際に白田が口にした独り言が何故かやけに耳に残った。




 目的地までは不自然な程にすんなり辿り着けた。時間を超えての渡航直後の待ち伏せもなければ、道中には野良のモンスターにすら遭遇しなかった。見覚えのある民家の残骸の脇に回って地下への蓋をめくり上げても反応する者はおらず、留守番を命じたカインも呑気に欠伸ができるくらいには戦闘の気配は遠い。警戒心から生まれる当然の疑問は渡の祖父自慢のシェルターに再度足を踏み入れた瞬間に答え合わせができた。
 既に用済みだった。一言でまとめるならばそれが敵の気配がない最大の理由だろう。中央に鎮座していたデスクトップパソコンは跡形もなく消え失せており、生活雑貨の類も強欲な泥棒に潜り込まれたのか明らかに使えないゴミしか残っていない。別の拠点に引っ越す直前と言っても過言ではないほどに、記憶上では存在していた筈の物が視界には存在しなかった。
 実際のところ、盗みに入られたのだろう。初めてこのシェルターに入ったのは、コミュニティに所属して初めての渡航。真魚に案内するかたちで入ったものの、乱入した黒木場秋人との戦いで中断させられた。おそらくはあの乱入も意図してのものだ。扉を開けたまま地上に戻って戦闘に集中している間、このシェルターは無防備だった。裏で潜入するための仕込みをする隙ならば腐る程あっただろう。何せレジスタンスあちら の言う人類の敵のプライベートな足跡が残っている領域なのだから。

「……お?」

 目ぼしいものはもう残っていない。溜息をついたところで視線はパソコンが鎮座していた場所に代わりに置かれた小さな缶を捉える。最初はゴミ箱か何かかと思ったが、真魚と訪れたときに手に取った記憶があった。そして、その中身に思いを馳せた瞬間に疑問符が過る。
 中に入っていたものは確かこの未来の研究者のメモや日記が纏められたファイル。モンスターは電子生命体にセルというナノマシンで肉体を与えた存在である。モンスターの本質を示すその情報を持ち帰った際、かつての仲間たちに褒められたのを憶えている。
 そして、今ならその資料の作成者の名前が弟切渡だと確信できる。時間経過があったとしても自分の字だから真魚には難解なメモでも解読できたのだろう。
 未来の自分が遺した情報だからこそ、敵意を持った盗人がこれを放置しているのは不可解だ。罠と考えるのが自然だろうがカインとの契約が継続している以上、大抵の物理的な衝撃には耐えられる。最悪なのはシェルターを倒壊させるレベルの衝撃を与えるもの。ただ蓋は既に開いており、その上から確認できる範囲では不自然さはない。
 恐る恐る缶に触れて軽く揺らしてみる。手に伝わる振動も耳に入る内容物との軽い衝突音も真魚に見せたときの記憶とほとんど一致している。強いて違いがあるとすれば、あの時より僅かに軽い程度だろう。
 改めて内容物を確認してみればゴミ箱という錯覚もあながち間違ってはないと気づく。何せ研究で使ったであろうメモや資料については悉く抜き取られており、残っていたのは個人的な心情を綴った日記や考察には役に立たない紙切れだけだった。

「当てつけか。……でも、ありがたい」

 盗人にとっては不要どころか不潔なものだったのだろう。わざと残したのも、弟切渡がどんな思想を持って人類の敵と化すのかを見せつけるための嫌がらせに過ぎない。ただ、今の渡にとってはこの記録こそがどんな情報よりも必要なものだった。
 今までの自分が持つ記憶とこの未来で自分が辿った記録。両方絡めて咀嚼すれば、腑に落ちる答えを得ることが出来るだろう。




 大前提として、渡がドルモンというモンスターと遭遇したのはカインが初めてではない。
 六年前、渡の手引きで警察に目を付けられた父親――弟切蔵太は逆上して渡を絞め殺そうとしたあの時に、同じ種を目撃している。

――義理は返すもので約束は守るもの。そうやって信用される人になれ

 父親がくれたその言葉を信じた行動は彼自身の退路を断ち、明確な殺意となって渡に襲いかかった。その瞬間に渡の中で父親という存在は死んだものとなり、この末路を導いた言葉だけが弟切蔵太という存在に意識を割くための呪文と化した。いや、本来ならばその呪文も抱えたまま死んでいた筈なのだ。
 渡が生き残った理由はただ一つ。その場にドルモンというモンスターが現れ、父親だった男を喰い殺したから。セルが人工的に作られていない過去に出現した理由は今の渡にも分からない。食事を終えてすぐにドルモンの姿は霧のように描き消えたため、その後の足跡も分からない。
 渡は警察には見たままの事実を話したが、死の間際に見た幻覚だと見做され、蔵太は不審な点を残したまま自殺として処理された。渡自身もドルモンのことは幻覚か何かだろうと思おうとした。だが、記憶に焼き付いた生々しく鮮烈な情報は薄れることなく、今でも事実として存在感を維持している。そして、それは父親だった男が遺した言葉を体現するべき相手という認識も伴っていた。
 このときから弟切渡という人間はいかれてしまったのだ。洗浄されることなく残った染みは高校生になった現在では人格を形成する模様と化し、きっかけを与えられた未来の自分にとっては抑えがたい衝動となった。
 二〇四五年、後に「神の触手」と讃えられる存在を人類は知覚し、弟切渡は道を踏み外す一歩を踏み出した。
 光の球体のような形態で現れたその本質は電子的なもので、個性が存在しないが故にある個体に対して手を加えた瞬間、全個体に最初からそうであったかのように反映される特性を持つという。物質世界における振る舞いも含めたその存在は製作者も不明どころか設計思想からして人類の記録にも存在しない。今人類が知覚している次元とは異なる次元から現れた存在だという説も騒がれた。
 自己組織化ロボットをテーマに掲げていた渡も物質世界における振る舞いに着目して研究を進める中でその説を支持すると同時に、長年抱えていた衝動の根源に対しての仮説を立てた。幼い頃に見たドルモン――モンスターも同様に電子的な存在が仮初めの肉体を得た姿だったのではないかという説だ。
 元々奇特な存在に対する研究だったこともあり、奇特な発想を持つ研究者も多かった。何せ時間軸すら無視する特性から過去改変という発想に跳躍してタイムマシンを作ろうと考えた女傑すら現れたくらいだ。気の狂った連中が集まっては長い時間を掛けて論争と研究を繰り返し、おかしな妄想でしかなかったはずの事象を一つずつ証明していき、夢物語だったはずのテクノロジーは次第に現実見を帯びていった。
 研究に費やした時間は十五年。その間に別次元に住まうモンスターの存在に確信を得て、自分がかつて遭遇したドルモンも十五年前の「神の触手」と同様に何らかの偶然で実体化したモンスターであると突き止めた。そして、今度は自らの手でセルという物質的な肉体を与えられる手段を確立した。ひと時の偶然ではなく永遠の必然として、彼らと接触する術を作り上げてしまったのだ。
 モンスターの実体化が何を招いたかは今の渡がいる未来が示す通り。スタートは恩義か憧れか。いずれにせよ一人の男の妄執によって、人類の未来に最悪の脅威が実体化したのだ。