そんなとき、植物療法士の学校で、在る女性と出会いがあり、彼女と思いきって、表参道で、ヒーリングサロンをオープンすることになりました。
こじんまりした、一軒家を隠れ家的な、ヒーリングサロンにしてオープンしました。
アロマのマッサージあり、レイキヒーリングあり、カードリーディングあり、フラワーエッセンスあり、などなどで、当時ではまだ珍しいサロンでした。
ですが!!!
私は、なんと、毎日、毎日が地獄のようでした。。。
なぜか???
私がサロンに来た、お客様をアロマでマッサージしていると、そのお客様のトラウマのような。。映像が見えるんです。。特にお腹の辺りをマッサージしているときに。。
そしてお1人のマッサージが終わると、もう憔悴しきってしまって。。1日にお1人するのが精一杯でした。。
一緒にやっている友人は、何人のお客様をマッサージしても、全く元気で、、、当時は、「何で、わたし、こんなに疲れてエネルギーが亡くなってしまうんだろう??」と思っていました。
毎日1人が限界で、しかも、どんどん映像が見えてくるんです。。
そしてとうとう、1、2ヶ月たった頃、友人に言いました。
「もう、限界だから、私にはむいてないから、やめさせてほしい。。」と。
友人は、見ていてわかっていたようで、すんなり受け入れてくれました。
そして権利やら、お金やらすべてを友人に譲渡しました。
友人はそれからすぐに,白金にサロンを移し、繁盛していたようです。
そして引越やら、かたずけが色々終わったころ、次、どうしようかな~。何しようかな~。と思っていたら、
電話がかかってきました。
「りかちゃん、今、何してるの?パリのブランドのチーフデザイナーやらない?」と。
ある大手上場企業の取締役の方からの電話で、なんだか、ものすごくいいタイミングだから、話を聞いてみようと会う約束をして,電話を切りました。
私はふと思いました。
「もう、ファッションはやりつくしたはずなのに、またファッション?何の意味があるのかな。。」
と思いながら、タイミングのすごさに、やはり、流れに身を任せよう!と思い、あまり考えるのはやめて、フラットにして当日その人に会いました。
そして、トントン拍子にそのパリの老舗ブランドのチーフデザイナーに決まり、就任することになりました。
。。ですが、そんな大企業に出向いて、そのスタッフ達の中に入ってデザイナーをやる、という経験がなく、(今まではずっと自分達のアトリエで、自由にやっていたので)
スタッフも自分が面接をして入ってきたのではなく、企業の社員として沢山いるわけで、上司もいるわけで。。会社のルールもあるわけで。。
こんな当たり前の事が私には、かなり緊張で、そして、自由にやってきたクリエイションが上場企業で通用するのかな?など、私には珍しく、緊張と不安が出てきました。
「。。。私、、大丈夫か?」
タイミングの素晴らしさに、身を任せてこうなったけど、ほんとにこれでよかったのか?など、思考はぐるぐる回ります。。。
でももう初日の出社が近づいてきたので、考えるのはやめて、行ってみてからだめなら考えればいい!と思い、出社しました。
青山の一等地で、高層ビル1棟がその会社で、フロアーに入ると沢山の人がいて忙しそうに働いています。。
その人の多さと大きさにびっくりしましたが、とりあえあず、挨拶をし、自分の席に着きました。。。。
その席の机も椅子も、普通の会社の机と椅子でした。
今まで私達は自由に好きな机、椅子を選んでクリエイションしてきたので、少しびっくりしました。。
あ~これが、社会なんだな。。と思いました。
「私。。やっていけるのか?」
つづく。。。
明日へつづく、、、。

<この奇跡の出来事シリーズは、LICAの実話のヒストリーをブログ連載として書いています。
バックナンバーは、こちらよりご覧下さい。http://ameblo.jp/parallel-earth/theme-10066276149.html
こじんまりした、一軒家を隠れ家的な、ヒーリングサロンにしてオープンしました。
アロマのマッサージあり、レイキヒーリングあり、カードリーディングあり、フラワーエッセンスあり、などなどで、当時ではまだ珍しいサロンでした。
ですが!!!
私は、なんと、毎日、毎日が地獄のようでした。。。
なぜか???
私がサロンに来た、お客様をアロマでマッサージしていると、そのお客様のトラウマのような。。映像が見えるんです。。特にお腹の辺りをマッサージしているときに。。
そしてお1人のマッサージが終わると、もう憔悴しきってしまって。。1日にお1人するのが精一杯でした。。
一緒にやっている友人は、何人のお客様をマッサージしても、全く元気で、、、当時は、「何で、わたし、こんなに疲れてエネルギーが亡くなってしまうんだろう??」と思っていました。
毎日1人が限界で、しかも、どんどん映像が見えてくるんです。。
そしてとうとう、1、2ヶ月たった頃、友人に言いました。
「もう、限界だから、私にはむいてないから、やめさせてほしい。。」と。
友人は、見ていてわかっていたようで、すんなり受け入れてくれました。
そして権利やら、お金やらすべてを友人に譲渡しました。
友人はそれからすぐに,白金にサロンを移し、繁盛していたようです。
そして引越やら、かたずけが色々終わったころ、次、どうしようかな~。何しようかな~。と思っていたら、
電話がかかってきました。
「りかちゃん、今、何してるの?パリのブランドのチーフデザイナーやらない?」と。
ある大手上場企業の取締役の方からの電話で、なんだか、ものすごくいいタイミングだから、話を聞いてみようと会う約束をして,電話を切りました。
私はふと思いました。
「もう、ファッションはやりつくしたはずなのに、またファッション?何の意味があるのかな。。」
と思いながら、タイミングのすごさに、やはり、流れに身を任せよう!と思い、あまり考えるのはやめて、フラットにして当日その人に会いました。
そして、トントン拍子にそのパリの老舗ブランドのチーフデザイナーに決まり、就任することになりました。
。。ですが、そんな大企業に出向いて、そのスタッフ達の中に入ってデザイナーをやる、という経験がなく、(今まではずっと自分達のアトリエで、自由にやっていたので)
スタッフも自分が面接をして入ってきたのではなく、企業の社員として沢山いるわけで、上司もいるわけで。。会社のルールもあるわけで。。
こんな当たり前の事が私には、かなり緊張で、そして、自由にやってきたクリエイションが上場企業で通用するのかな?など、私には珍しく、緊張と不安が出てきました。
「。。。私、、大丈夫か?」
タイミングの素晴らしさに、身を任せてこうなったけど、ほんとにこれでよかったのか?など、思考はぐるぐる回ります。。。
でももう初日の出社が近づいてきたので、考えるのはやめて、行ってみてからだめなら考えればいい!と思い、出社しました。
青山の一等地で、高層ビル1棟がその会社で、フロアーに入ると沢山の人がいて忙しそうに働いています。。
その人の多さと大きさにびっくりしましたが、とりあえあず、挨拶をし、自分の席に着きました。。。。
その席の机も椅子も、普通の会社の机と椅子でした。
今まで私達は自由に好きな机、椅子を選んでクリエイションしてきたので、少しびっくりしました。。
あ~これが、社会なんだな。。と思いました。
「私。。やっていけるのか?」
つづく。。。
明日へつづく、、、。

<この奇跡の出来事シリーズは、LICAの実話のヒストリーをブログ連載として書いています。
バックナンバーは、こちらよりご覧下さい。http://ameblo.jp/parallel-earth/theme-10066276149.html