旅立ち
義兄が2年4カ月の闘病の末、8/17深夜に57歳という若さで天国へ旅立ちました。
農家の長男として家業を継ぎ、田畑を広げながら、農閑期には副業に務め、家族や地域のために働き続けた人生でした。
周りの人たちへの情に溢れ、頼まれた事は決して断らず、自分の時間を削ってでも尽くす人でした。
病気が分かった時には、本人はもちろん、家族も大きな衝撃で、一族の大黒柱を失う事に目の前が真っ暗になりました。
でも看護師の妻(義姉)の支えもあり、仕事を続け治療に励んでいました。
やがて一人息子が稼業を継ぐ事になり、おつきあいをしていた彼女と結婚し実家に同居を決めたのです。海外で仕事をしていた彼にとっては、とても大きな決断だったと思います。
結婚して間もなく赤ちゃんが授かりました。女の子でした。義兄は思いがけなく若いおじいちゃんになりました。
赤ちゃん誕生後すぐに、歩行が困難になった義兄は、自宅療養の日々になりましたが、赤ちゃんの存在が暗くなりがちな家に明るい光と幸せな時間をもたらしました。
若いお嫁さんも介護と家事、子育てを頑張ってくれました。
義姉は仕事を続けながらの介護でしたが、残された時間を大切に過ごす事が出来ました。
高齢の義母は辛い気持ちをこらえながら、周りへの気配りを忘れませんでした。
そんな素晴らしい家族の努力の甲斐があって、初診の余命宣告よりも数年長く義兄は最後の時まで笑顔で生きる事ができました。
たくましい義兄が少しづつ弱っていく姿を見るのは、離れて暮らす私たち弟夫婦にとっても辛いものでした。兄は保護者の役割も担って、私の夫である弟をとても可愛がり、いつも心配してくれました。私にとっては厳しく少し難しい人でしたが、情愛のある人柄を尊敬してました。
8/12 貧血のため緊急入院、輸血で落ち着く。
8/13 身内が見舞い、話せる状態。
8/14 義姉から排尿減少、麻薬処置の知らせが届き、私たち夫婦も深夜に病院に駆けつける。
8/15 意識朦朧であるが、話かけると少し反応あり。
8/16 呼吸数減少で危篤となる。親戚や知り合いに知らせると、40人も駆けつける。
8/17 am1:16永眠。57歳
8/19 通夜
8/20 葬儀告別式
義兄の通夜告別式には400人ほど参列者がありました。
多くの人が突然の訃報に驚き、若すぎる死を悼み、感謝の気持ちを表してくれました。
弟である夫には、遺言で大好きだった松山千春の「旅立ち」を歌って欲しいと言い残してました。夫はギターを弾き、娘婿にベースでサポートを受け、葬儀会場で歌いました。
ロマンチストなおにいちゃん。人よりも何倍も働いたおにいちゃん。
お疲れ様でした。本当にお世話になりました。頼りない弟家族をいつも心配してくれましたね。
ありがとうございます。
義兄が2年4カ月の闘病の末、8/17深夜に57歳という若さで天国へ旅立ちました。
農家の長男として家業を継ぎ、田畑を広げながら、農閑期には副業に務め、家族や地域のために働き続けた人生でした。
周りの人たちへの情に溢れ、頼まれた事は決して断らず、自分の時間を削ってでも尽くす人でした。
病気が分かった時には、本人はもちろん、家族も大きな衝撃で、一族の大黒柱を失う事に目の前が真っ暗になりました。
でも看護師の妻(義姉)の支えもあり、仕事を続け治療に励んでいました。
やがて一人息子が稼業を継ぐ事になり、おつきあいをしていた彼女と結婚し実家に同居を決めたのです。海外で仕事をしていた彼にとっては、とても大きな決断だったと思います。
結婚して間もなく赤ちゃんが授かりました。女の子でした。義兄は思いがけなく若いおじいちゃんになりました。
赤ちゃん誕生後すぐに、歩行が困難になった義兄は、自宅療養の日々になりましたが、赤ちゃんの存在が暗くなりがちな家に明るい光と幸せな時間をもたらしました。
若いお嫁さんも介護と家事、子育てを頑張ってくれました。
義姉は仕事を続けながらの介護でしたが、残された時間を大切に過ごす事が出来ました。
高齢の義母は辛い気持ちをこらえながら、周りへの気配りを忘れませんでした。
そんな素晴らしい家族の努力の甲斐があって、初診の余命宣告よりも数年長く義兄は最後の時まで笑顔で生きる事ができました。
たくましい義兄が少しづつ弱っていく姿を見るのは、離れて暮らす私たち弟夫婦にとっても辛いものでした。兄は保護者の役割も担って、私の夫である弟をとても可愛がり、いつも心配してくれました。私にとっては厳しく少し難しい人でしたが、情愛のある人柄を尊敬してました。
8/12 貧血のため緊急入院、輸血で落ち着く。
8/13 身内が見舞い、話せる状態。
8/14 義姉から排尿減少、麻薬処置の知らせが届き、私たち夫婦も深夜に病院に駆けつける。
8/15 意識朦朧であるが、話かけると少し反応あり。
8/16 呼吸数減少で危篤となる。親戚や知り合いに知らせると、40人も駆けつける。
8/17 am1:16永眠。57歳
8/19 通夜
8/20 葬儀告別式
義兄の通夜告別式には400人ほど参列者がありました。
多くの人が突然の訃報に驚き、若すぎる死を悼み、感謝の気持ちを表してくれました。
弟である夫には、遺言で大好きだった松山千春の「旅立ち」を歌って欲しいと言い残してました。夫はギターを弾き、娘婿にベースでサポートを受け、葬儀会場で歌いました。
ロマンチストなおにいちゃん。人よりも何倍も働いたおにいちゃん。
お疲れ様でした。本当にお世話になりました。頼りない弟家族をいつも心配してくれましたね。
ありがとうございます。