大人になってからは特に。

「誕生日だから、〇〇しよう」

という年が増えたような気がする。


誕生日だから、自分に誕生日プレゼントを買おう、とか。

誕生日までの1ヶ月間だけは、これを頑張ってみよう、とか。


子どもの頃の、ただ親に何かを買ってもらって祝ってもらって、というスタイルではなくて、自分で自分に対して何かをする姿勢が出てきたと言えばいいのか。


それはある種の自立で。「誕生日」というものに対して自分で動くようになったと言えるのかもしれない。



とは言え、年をとるごとにそこまで誕生日を意識することはなくなって、今年は今までで一番、誕生日を意識することはない年だった。

何かの拍子に「もうすぐ誕生日だな」と思うけど、いつの間にか忘れている。ふっと日付を見たら、「あれ、もう明日じゃないか」みたいなことになっている。そんな間近になってすら、気を抜いたらまた忘れてしまいそうで。


自分が年をとることに気負いがない。気合いが必要ない。


そんな年だった。


まぁ、これだけ何度も誕生日という日を迎えていれば、感覚に刻み込まれているのだ。

誕生日だろうとそうでなかろうと、毎日が続くことに変わりは無い。

今日が終われば明日が来る。明日という日が誕生日でもそうでなくても、一日に変わりはないし、その後も日常は続いていく。


誕生日も、誕生日じゃない364日も、等しく日常で、等しく特別な毎日である。



誕生日にあまり特別感を見出だせなくなったのは、私が年をとったからなのか。それとも他の日も大事だと思えるようになったからなのか。本当のところはどうなんだろう。




ところでそんなことを言いながら、今年はちゃっかり自分の誕生日にチョコレートを買った。最近寒くなったからか、チョコレートを食べたくて仕方なかったのだ。


普段は行かないお店、食べたことのないチョコレート。こんな商品もあるんだな〜といろいろ見て、楽しい日を過ごした。


チョコを食べながらふっと思う。


「別に誕生日を理由に買わなくたっていいんだよな」と。


自分がその時やりたいことを、あれこれ考えずに実行する。

そんな生き方をしたいと自分なりにやってきた1年でもあったのだ。


それは、以前の自分と比べたらずっとやれていて、そのこと自体に満足しているけれど。

こうして誕生日を理由に動く辺り、まだお金や世間の目を気にしているところがあるんだなーとも思う。



本当なら、「誕生日だから」は必要ないのだ。

特別な日だから許されるって、一体誰に許しを請うというのか。


食べたいなら食べればいい。やりたいならやればいい。


今この時の、自分の望みを素直に出せばいい。



それが段々とできているから、今年の誕生日は気負わなかったのかもしれない。

日々やりたいことをできているから、「折角の誕生日にあれをしなきゃ!」って、前々から考えることがなかったのかも。


「誕生日だから何をしようかな」って自分の望みを知るキッカケになるし、それはそれで良いけれど。


「今この時、自分は何をしたいかな」って自分を見つめて実行できる、そんな毎日を作る年にしたいな。