眠れないのもあって
ここに触れてみようかと。
あの歌舞伎界のご夫婦のこと。

住む世界も違うし、
お子さんがいらっしゃることも違うけれど
伴侶に先立たれた、という事実に
感じることがあります。

早過ぎた。

まだ気持ちの整理がつかないうちであろう
会見は、日本中が涙したと思いますが
私もそのひとり。
演奏に行く道すがら観ていて、
今もその道を通ると、泣いたことを思い出します。



10年経っても哀しいことには変わりはない。
わたしは今年で旦那さんが旅立った年齢と
同じ歳になりました。
自分がいつ死んでも後悔はない、と
今は言い切ることが出来ますが
それは旦那さんもそういう生き方を
した人だったから。と思います。
10年経ってもなお、教わっています。
1日たりとも、忘れたことはありません。


わたしはこの先もずっとひとりか、というと
そんな気はなくて
旦那さんも望んでいないと思います。
平均寿命でいう、あと40年は
ひとりで過ごすことは無理です笑。


旦那さんは小学1年で、お父さんを亡くしています。義兄は小学3年で、義母はそのとき30代後半。
「俺が亡くなったあとは〇〇しなさい」
「俺の葬儀は〇〇してね」
「俺が亡くなったら再婚しなさい、ただし
俺以上の人を選ぶこと」
結婚当初からこんなことをよく言っていて、
それは突然にお父さんを亡くしたからだと
あとで気づきました。


死をもって教わること、
教わることの深さを、思い知ります。


この世で役目を終えて
お疲れ様でした。ありがとう。


哀しみを乗り越えなくては、と躍起になり
10年経って
乗り越えた気になっていましたが

まだ乗り越えていないのかもしれません。
乗り越える必要もないのかもしれません。


あの頃と、環境も周りの人々も変わりました。
当時は演奏活動などしていなかったのに
今では生活のメインになっています。


果たして私はあの時何か出来たのであろうか、」と歌舞伎役者の方のブログにありました。
わたしもそんな想いを抱えていました。
アロマテラピー=芳香療法を学んだのは
その想いからです。
旦那さんのことは助けられなかったけど、
誰かを、自分を助けることが出来るかもしれない。


そして「旦那さんを助けられなかった」という
想いには随分苦しみました。
くも膜下出血で即死に近かったので、
亡くなったばかりの傷ついている心に刺さる
心無い人の
「早期発見できなかったのか」
「早く病院に連れて行かなかったからだ」と
いう言葉は忘れません。
言った本人たちは忘れているでしょう。


アロマの師匠のワークショップで
そんなことを話したのかもしれません。 
師匠は仰いました。
「旦那さんは、助けて欲しかったのかしら?」

とっさにわたしは
「そうは思っていないと思います」
この言葉には救われました。


この頃の仲間、家族、音楽に救われたのは
もちろんのことで、とても感謝しています。
その後、
辞めていた音楽を再開することになります。


今もいろいろ苦しくて
あがいてしまうけど
わたしはわたしを生ききった、と言えるように。


遅かれ早かれ、誰もが体験するであろう
旦那さんも、母も看取った体験を
人間として、音楽家として成長するために
活かす。


毎日充実しています。


明るくなってきたので、
そろそろ終わりにします。
書くと整理できますね。

起きたらリハーサルが2本!