京都大作戦終了
ダイスケです。
京都大作戦が終わりました。
今年も楽しくて、嬉しくて、笑顔が絶えない2日間でした。
空が広くて、仲間が居て、音楽が絶え間なく流れている。
素晴らしい空間だったし、また来年も行きたいって素直に思う。
だけど今年は個人的な集中力が散漫で、新鮮さや最高感は
更新できなかったなー。
物事に慣れていくごとに、感受性が鈍化していく自分が嫌いです。
僕はフェスやライブに、おそらく非日常を求めてるんだと思います。
「非日常」というのは、繁華街とかお祭とか旅行とか。
日頃の生活とはちょっと違う時間や空間のことを指します。
なんでそういうものを求めるのかというと、
多分日常生活というのが僕にとって息苦しいものだからだと思う。
勿論日常生活は最初から息苦しかったわけじゃなくて。
初めて独り暮らしを始めた時、就職した時。
最初は希望に燃えて、とまではいかなくてもちょっとは
新鮮な気持ちで始めたはずの生活だったはず。
だけど慣れると余裕が出来、考える時間が増えて。
その結果息苦しくなってしまうんだと思う。
息苦しいというのは心が動かないということで、
それは今の生活に身体が慣れてしまったと言うこと。
要するに、鈍感になって新鮮な気持ちが無くなったと言うことなんだ。
あんなに素晴らしい時間や空間でさえ、感動を感じなくなっていくのかな。
凄く楽しかった。それは確かなんだ。
それを確かに実感してるからこそ、僕は自分を嫌いになっていくんだ。
京都大作戦が終わりました。
今年も楽しくて、嬉しくて、笑顔が絶えない2日間でした。
空が広くて、仲間が居て、音楽が絶え間なく流れている。
素晴らしい空間だったし、また来年も行きたいって素直に思う。
だけど今年は個人的な集中力が散漫で、新鮮さや最高感は
更新できなかったなー。
物事に慣れていくごとに、感受性が鈍化していく自分が嫌いです。
僕はフェスやライブに、おそらく非日常を求めてるんだと思います。
「非日常」というのは、繁華街とかお祭とか旅行とか。
日頃の生活とはちょっと違う時間や空間のことを指します。
なんでそういうものを求めるのかというと、
多分日常生活というのが僕にとって息苦しいものだからだと思う。
勿論日常生活は最初から息苦しかったわけじゃなくて。
初めて独り暮らしを始めた時、就職した時。
最初は希望に燃えて、とまではいかなくてもちょっとは
新鮮な気持ちで始めたはずの生活だったはず。
だけど慣れると余裕が出来、考える時間が増えて。
その結果息苦しくなってしまうんだと思う。
息苦しいというのは心が動かないということで、
それは今の生活に身体が慣れてしまったと言うこと。
要するに、鈍感になって新鮮な気持ちが無くなったと言うことなんだ。
あんなに素晴らしい時間や空間でさえ、感動を感じなくなっていくのかな。
凄く楽しかった。それは確かなんだ。
それを確かに実感してるからこそ、僕は自分を嫌いになっていくんだ。