あの丘の向こう51 | ノガレスのバス停のブログ

  二年ぶりに再開した洋食「キッチンK」に入ると、シェフの座にいる人物は若い女性でした。


 そのしっかりとした仕事に対する真摯な姿勢を感じさせる眼をした顔つきは、一代前のシェフとそっくりでした。

 「ステーキ、大盛り下さい」私が注文します。
その言葉と同時に、彼女は無駄の感じられない小気味好い動きに入っていました。
その黙々と作業を繰り出す手際は、彼女の父親そのものでした。

運ばれてきたポークステーキは鉄板の上で、まだシュウーシューと湯気を立てていて、強烈な、そして今ある食欲をさらにあおるガーリックの香りがカウンターのテーブル上から向かって来ます。



 オニオンソースの玉ねぎの粒が、ポークのロース肉の上で踊っていました。
ソースの湯気が収まると、板状の大きく切られたニンジンを口に。よく焼けたポテトも口に。

 そして、既にカットされたロース肉を上に載った玉ねぎの粒々を落さないように、そーっと口に運びます。


 
”同じ味だ”
以前と全く変わらない、オニオン風味のステーキが戻ってきました。
口に広がる風味を感じた途端、ジーンと眼に熱いものがこみ上げてきました。
 
 以前のシェフである、彼女の父親と娘との間で繰り広げたであろうストーリーが私の頭の中で展開したからです。


 私が最初にこの店に来たのは、20代の学生時代。
兄が連れてきてくれました。
 静岡の市街地からは外れた、総合病院の近くにその店はあります。
市内でも、わずかながらも活況を呈している商店街の突端。

木製の扉を開けるともう昼の一時を過ぎているのに、待合のベンチには5人程新聞を見て順番を待っているのが見えます。

店内は、一番人気のポークステーキのオニオンソースの匂いが立ち込めていました。
カウンターだけのシンプルな蛇曲したテーブル。
厨房はお客の視界の中央。
シェフ達のやっている事が、良く見えます。

一番高い料理帽を被っているのは、高齢な男性でした。
しかしその動きは、流れるようでした。

電気調理器の蝶番の付いた蓋を引き上げると、40代位の厳しい顔つきをしたシェフの助手は
中から、蒸しあがったロース肉を取り出すと、素早く右手の老シェフの前の、まな板に載せました。

それを待っていたシェフは、持っている大きめの牛刀をポークロース肉に当てると、1.5㎝ほどに手際よく切っていきました。
切り終わると助手が五徳の上で熱せられていた鉄板に、肉を一気に並べました。
その瞬間、助手の右後方に小さめのボールを持って待機している女性が手早く、ボールの中身のオニオンソースを満遍なくかけました。
かけた途端、ジューッと湯気が上がり、空間に香りと共に拡がっていきます。
そしてカウンター前方に料理の仕上がる時間を計算して置いてある御飯と味噌汁の手前に素早く置かれました。
 
 ステーキがカウンターに置かれる前に、最初に出されるサラダも素晴らしい。
細かく千切りされた、キャベツ、ニンジン、レタスなどの野菜が10センチ位の径のそこそこの大きさの白いボールに入っており、上にはこの店特製のドレッシング。
 これがまたおいしー!
ガーリック風味で、リンゴなどがジューサーで攪拌されて作られたのでしょうか。

 ごはん大盛り(ドンブリにたっぷり)でも足りない時には、最後にお代わりサラダを追加します。



 何年か前から、私は当時のシェフの奥さんがホールにいた頃によく質問しました。
 ”このオニオンソースは、何が入っているんですか?”
 その度に、うまく交わされました。
 「おいしいでしょう?二代前からやってるんですよ」と。

 何回も尋ねている内のある時に、
少し質問を変えました。

  ”材料は、鍋で煮るんですか?」


 奥さんは、ニャッとして、
 「火を入れるかってこと?火は入れない」という返事。
  少し、進展したなあ。
 私はよく、外で食べた料理が美味しかったりすると家で、真似をして自分勝手に作るんです。
 このオニオンソースも作りましたが、中々真似出来ません。素人では、もちろんプロにはかないません。

 タマネギはもちろん、レモン皮、ガーリック粒、しょうが粒、醤油。あとは、やはり、ドレッシングのようにリンゴのすりおろしも入っているのでしょうか。

ある時、いつものように一時を過ぎた遅い時間に行きました。
しかしまだお客さんがいます。
大盛りご飯の入ったどんぶりに、自由に取れる兵六漬けの細かく切られたタクアンを多めに載せます。熱々のワカメの味噌汁を傍らにし、メインのポークが来る前に食べ始めます。

ジュウジュウの鉄板が来る頃には、周りには誰もいなくなりました。
一気に、ポークステーキを平らげ、鉄板に残ったオニオンソースをご飯に掛けて食べ尽くします。

空のグラスに水を入れに来てくれた時、舌に残るオニオンソースに酔いしれたまま、
「ご主人には何があったんですか?」と声をかけてしまいました。

ミセスの動きが止まります。
伏せていた目をこちらに向けて、
「内臓の病気で長く入院してたんです」と。

 どれくらい休店していたんだろう、1年くらいあったかなあ。
娘さんである、今の4代目シェフは以前お店では見たことなかったように思います。
たしか、学生だったんじゃないだろうか。
 家を、店を継ぐ舞台には立っていなかったんだろうな。
 
 と思考が巡っていると、入院している3代目シェフのベッドの傍らに立っている娘さんと、
シェフの奥さん(娘さんの母)が、椅子に座って神妙な顔をしている状況が観えてきました。

 娘の顔は険しい。怒っているようにも見えます。
「私、大学卒業するから!」と言い放ち、外へ出て行きます。
 
 残った親は、しばらく黙っていましたが、
 「あの子の好きにさせてやろう」と、父親が。
 「でも、キッチンKの伝統が・・廃れてしまうのよ」と、母親。

  娘さんに4代目を継いでもらうことで、軋轢が生じているようです。

今見る彼女の目の中には、確固とした意志が現れています。
父のだけではない、彼女自身の未来を披瀝したものが。

1分もせずに戻ってきた彼女の目の中には炎がきらめいていました。

「任せて、お父さん‼︎」
彼女には何かが宿っていました。

何者にも負けないソウルが、輝いていました。





" 智者になるには誰でも

戦士にならにゃならん。

 世界のあり様を‘止める’まで

諦めず、不平も言わず、たじろぎもせずに

努力せにゃならんのだ。"


(Don Juan said 

   カルロス・ カスタネダ)