海外で暮らすと当然のごとく言葉が違う。生活様式が違う。文化が違う。人が違う。気候が違う。


 様々な違いがある海外に飛び出し、暮らしたりしていると当然のように違いを感じ、強かれ弱かれ衝撃を受け、うろたえ、時には否定しながらも、最終的には自分の中で受け入れたり、流したりしながら、その地域を知っていく。いわゆるカルチャーショックというやつだ。


 けれども、このカルチャーショックというやつを感じなくなってしまうというのは、どういうことだろうか。。。


 肯定的に捉えるならば、(ほんのちょっとではあるけれども)途上国を訪れそこでの生活を体験してきたがために、海外の色々な違いを受け入れる素地が出来上がっている。日本にはない食べ物を食べ、日本語ではない言語で話し、日本では考えられない生活様式で生活し、日本人とは外見のことなる人の中で暮らし、日本とは違う気候で暮らす。


 一方で、否定的に捉えるならば海外での生活を体験してきたがために、違うことが当たり前になり、違いを感じにくくなっている、鈍感になっているということなのかもしれない。


 肯定的にも、否定的にも書いてみたのだが、私自身が特別どちらだと言うつもりはない。どちらにしても、少々の寂しさを感じてしまう。


 初めて訪れた海外はネパール。空港に降り立った瞬間に感じた空気やその土地の匂い、空港から出た瞬間に感じた埃っぽさ、ネパールの人々、鳴り響くクラクション、香辛料たっぷりのカレー・・・そのどれもが新鮮で、今でも強く残っている。けれどもエルサルバドルに降り立って、「着いた、着いた」と看板に従いながらも歩き、特に食事に困ることなく、スペイン語は理解できないけれどもそのことにも慣れ、エルサルバドルに降り立った感想はと聞かれても答えられない。ネパールに降り立ったときのような新鮮さは皆無である。


 そこに少々の寂しさを感じるのだ。


 違いに衝撃を受けながらも、自問自答を繰り返し、受け入れたり、流したりしながらその地域を知っていくというプロセスを体験できないということは、なんだか海外生活の醍醐味を失った気分でもある。


 もっともっと敏感に、この国での生活を満喫しよう。