名言集から始まり、超訳や毒舌訳とやらとかで哲学誤解される話 | ニートの掃き溜め

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社会不適合者のすくつ

まず俺が初めて哲学を学び始めて思ったのは「あれ、思ったのと全然違うな」って感じなんだが、やっぱりこれって一般的認識が歪みに歪みまくっているから、としか言いようがない。

これについて詳しい人って言うのは余りいないし、正しい(というか間違っていても認識的に)解釈が出来るのは真面目に向き合って無駄に時間を割いた限られた人間だ。

 

簡易解説や名言からその意図を汲み取る事はほぼ不可能に近いんだよね。

その上で名言をそのままイコールで括ったり、便宜上そういう事にした超訳本を世界だと信じ込むと、そりゃポエムみたいになる訳だ。

情報も少なく誰も正さないから誰かが適当に言った妄想や思い込みも真の情報の様に回りやすい。

例えば一番びっくりしたのが〇〇は童貞である。というような言説が各哲学者について回っている事だ。(かなり多くの哲学者が上がっていたが、ニーチェやデカルト等少なくともほんの少しでも著書に触れている人間なら嘘とわかる程度の人間すら)

そりゃただでさえ必要もなく性事情をひけらかす事も無ければ(例外はあるが)、理性を重んじている人間なので婚約の合理性についての疑問などを持つケースも少なくないだろう(ソクラテスの結婚観がいい例)。

 

ただこういうのが出回ったのは誤報発信者がその哲学者のディスクール等に対して嫌悪感を抱いたうえでコンプレックスが出た例だと思うので(脈絡の無い悪意や確証バイアスは自己を源泉とする為)、そういった意味では哲学に触れた人間乃至、哲学を嫌う人間には性事情にコンプレックスを持っている人間が多い可能性はあるかもしれない。

つまり総括するとどんな形でアレ哲学に興味を持った事のある人間か。

 

脱線したが、それはそれとして、実際一番出回ってる名言から哲学というか思想を読み取るのは不可能に近い。

例えば俺が良くする話として「ルサンチマン」ってなんだ?って話である。

ネットで調べると「嫉妬」と出るが、訳や意味として間違ってないとしても、もっと局所的、限定的な場所や意味として用いられる。

例えば友達がカッコいい時計持っていて、それに対してルサンチマンを抱く。これは明確に誤用だ。

友達がカッコいい時計を持っていて自分はそれを購入できる経済力が無く、それを購入できる友達にルサンチマンを覚えた。このくらいになってくると漸く意味を持ち始めてくる。(凡そ厳密には正しいとは言えない)

こういったように切りぬいたものは一体どういう意味を持つか?っていうのはわからないんだよね。

 

名言だと例えば何だろう。名言というか思想でスピノザ汎神論ってのがあるが、「全ての物に神様が宿っている」というような思想である。と簡単に調べると出てくるはずだ。

一見日本の八百万の神似た概念と錯覚させる。

 

だが実際この思想というのは無限(神)>有限(神の部分)の話をしているのであって、そんなファンタジーな話をしている訳ではない。(この哲学は難解で解説書も少ない、私の解釈の誤りの可能性はまた別の話なので不問にしてもらいたい)

 

書いてて思い出した有名な物ならコギト命題だろう。

「我思う故に我在り」

 

考えてる自分というアイデンティティの確立みたいな直感的な理解になるだろうし、殆どがその程度に考えているだろう。

故にもじっためちゃくちゃな似非命題を自信満々に放つ輩も少なくない。

因みに如何の様なジョークというか演出的なものについて言及している訳ではない。

忌憚のない意見ない意見ってやつっス。

それでも文句あるならいつでも喧嘩上等っすよ。

 

 

が、実際どういう考えてでどこに至るものなのか、これは科学の初歩だったりする。

哲学は古来ユークリッド幾何学、つまり数学という概念を生み出したが、数学はどうやって確立しているか。

それは絶対的事実を念頭に置いてそこから定理という法則性を導いていけば(※その哲学体系に於ける)真実が無限の様に暴かれる。という話である。

ここで※で注記を入れたのは、半端にしか理解していない癖に数学に教条的な考えを持つ単細胞に対する皮肉である。

 

哲学に於ける証明は全部蓋然性のかけらもない。そもそも超経験的な事は実証されることもなく、常に矛盾をはらむ。

数学者の彼は考えた。数学と同じように絶対的に正しい命題を一つ作れればそこから真理が導き出せると。

 

その上で絶対的に間違っていない概念は、例えば我々が水槽の脳の様な夢に溺れる存在だろうと、その存在がなかろうと、少なくとも今ここでそういう事を思考している自分という概念は存在しているのでそれだけは疑いようのない真実である。という命題を導くに至る。

その公理を作り上げた後のデカルトは気が抜けた様に穴だらけの論説を唱えるようになってしまったというが、まあ抜本的にその言葉の意味、原因、目的様々あるけど、それらをその言葉だけで汲み取れたと思うか?

前後が必ず必要なんだわ。

 

因みに標題に毒舌訳という、明らかに有吉の哲学著作をちらつかせているが、これは読んではいないがレビューから伺える情報にやばそうな臭いがする著書に対しての突っ込みの意思だ。(有吉は好きだけど、それ自体を自分の欠点だとも思うので、多分彼の思想的な部分を見ても毒にしかならない気がする)

例えば〇〇は童貞の下りを入れたが、コイツ以外にもさんざん見ているし、必ずしもこいつが発祥ではないと思うが、レビューを見る限り正しい情報として誤情報が記載されているらしい。

いや、この要因については既に考察したように性事情にコンプレックスを持つ人間が、それを面白おかしく冗談で書いた本書から真に受けたという可能性があるので確たることではないから保留として。(ネタとしては面白いと言わざるを得ない)

 

次に名言を切りぬいてもわからない、というくだりについてはこの本は全て名言から切り抜いた誤った悪い解釈で批判している。

 

 

事情を知る人間からしたら明らかにこの画像の通りなのだが、更に悪質な事にこれについての弁明があるらしく、それでアホの共感を得るという詭弁の言い訳に成功しているが恐ろしい部分で。

 

「哲学とは、変わり者の人が適当に言ったこと、ふつうの人が無理やりわかるわかると納得してあげるもの。好き勝手言ってるだけで、人の取り方次第でどうにでも変わる」

というのをレビューで引用していた。

これに対するレビュー者の回答も知った気になった馬鹿のポエムの様な哲学解釈でかなり浅はかな物だったのでぶっ殺したくなったものだ。

 

要するにこれだけ雑に切り抜いてそのまま雑に受け取って言及をしてしまう以上、少しでもまともな知能を持っていれば絶対誤った言説を散らかしている事は理解しているだろうのでその予防線としてこの文章が出たと思われる。

理由もなくただ自分が好き勝手壊して回った物を自己正当化しているだけでエクリチュールの差延的な話とは訳が違う。

 

因みにどんな回答かというと、「そう思う。今となっては、解釈を楽しむ話のタネになるようなアイテム」との事だ。

お前は現代哲学をどんだけ知っていてどんだけ馬鹿にしてるんだと。

こういうのって特に意味の無いポエム=哲学と認識してるから自分の認識する哲学の意味は自分で思いついた通りである。っていう思考プロセスだと思うが、知ったかぶりする前にせめて勉強してみろと言いたい。

勉強した上で間違っていたなら、まあそれはいいよ。っていうか、この分野で間違えない人間がいると主張するならそっちの方がおかしいし。

 

ただ思惟を介さない恣意的な解釈が(ダジャレではない)、それそのものである。なんてファンタジーな話な訳ねえだろ。

これ一般人の知見(というか教養)では理解に及ばないという同じ性質を持つ量子力学とかでも似た様な事されてるけど。

 

とかまあ、色々出た文句として。

飽く迄入門とか解説とかそれでさえそれを正しい情報としてとてもじゃないが取り扱えないのに、剰え超訳とか芸人の書いたジョークを真に受けるのはさすがにやめようぜって話である。

こういう話をすると自己正当化の為の認知バイアスか知らんが、何故か指摘者が冗談が通じないみたいにオウム返しされるんだけど、そうではなくて冗談が通じないお前らみたいな奴がいるからちゃんと著作自体ででもいいから「真に受けてんじゃねえぞ馬鹿ども」って啓蒙しておいた方がいいよねって話である。

 

 

本当はもっと話したかったのだが、さすがに相当時間を浪費したのでここらで辞めておく。

 

しかしこうやっておかしいな、とか思った事をこうやって誰にでもない場所にアウトプットするのは自分の思考の整理の為だったりする。(だからそういう目的なのにアクセスがバチクソに増えた時当ブログを消した)

自分自身の疑問などがかなりすっきりするので、ぜひ試してもらいたい。

それについてこれも哲学の一つかの方法論か?と言うオチを付けてようと思ったが、変なポエム的解釈をされる気がするのでやめておく。

 

あと最後に「物事は極端に説明すると馬鹿からの高い評価を得られる」っていう忠告も置いておこう。

俺も昔極端にホラかましてた時代は信者が多かったから殊更経験的にも身に染みる話なのだが、世の中のインフルエンサーも含めて単純明快に話を切り落とす奴は多い。

 

世の中の人間って大抵馬鹿だし、馬鹿じゃないのに馬鹿のままである人間も多い。というのはある意味賢い故に馬鹿になるまであるという事だ。

つまり、物事を理解する労力をかけるより、真偽がどうあれ馬鹿でも直感的に理解できる情報を正しいと解釈すれば自分で考える労力は要らないって楽な方に流れる心理というか。

だから、哲学の超訳本にせよ、本人も理解してそうな位解像度の低い単純明快な言説にせよ、そういうのを正しいものと思い込む癖は自覚しないと直らないんだよね。

哲学だけの話じゃなくて全部だよ全部。人文学から美容ヘルスケア、生き方、常識等に至るまでマジで全部全て。

 

ただ、このブログの文章をここまでマジで読み切ったあなたにはそういう嫌いはないのかもしれないけどね。