今年もこの記事を書く日が来ました。あの時間羽田空港で手荷物を預けようとした瞬間揺れ始めました。京急とモノレールは安全が確認でき次第、運転再開致します。このアナウンスばかり・・・誰もその時は羽田空港で寝る事になるなんて思っていなかったはず。北海道出身の僕は地震の怖さを知っているつもりなのですぐに売店に行ってお水、ジュース、乾電池を購入。羽田空港ってテレビは限られた場所にしか無くて全くの無情報状態。しばらくしてワンセグでテレビを見ると石巻市が映る。ここでやっと緊急事態だと確認。そして0時頃に大田区から救援物資が届く。初めてダンボールで寝た日でした。あとで考えたらとりあえず雨風しのげてトイレがある場所で被災したのが不幸中の幸い。駅で被災した友達はトイレが1番大変だったと言っていました。南相馬市に入ったのは3日後。そこには想像も付かない状態が待っていました。