大学の担当教員だった、佐藤義寛先生が、言われた事で覚えているものの一つに、比較、比較、と言うけれど、それで何が分かるんや?と。

比較文化論は簡単なようで本当は、比較対象が比較に値するのか?そもそもそれは比較していいのか?そして、比較して、ここが違う、あそこが違う、と羅列するのは良いが、結局、論文の結論が、だからこれらは違います、では、何の成果にもならん。と。価値などない、と。

つまり、比較文化論は安易に出来るほど簡単ではないんだ、と強く言われた。

何で今更そんな事を思い出すのか?と言えば、そういう、比較の為に、と言って比較対象にならないものを同列に扱って公的な発行物に載せた人が、身近にいたからだ。

その人も中国五県の中では1番偏差値の高い国公立大を出ているにも関わらず、こんな初歩的なとこで間違うのか?
私は心底、学校教育とはなんなんだ、と。
そう思った。

大学の偏差値が高いイコール頭が良い、イコール、仕事も出来る、などと今時考える安直な人がいるかどうか知らないが、少なくとも私の周りで、学校の勉強が出来るイコール仕事が出来るとはほぼ関係ないとよく思う。