大学を卒業したは良いけれど、なかなか就職が決まらない。
とはいえ、どうも頭が可笑しいのか、悶々としている位の可笑しな緊張感を感じていた頃、大学の表門の所で、対向してくる自転車を避けようとして、そこまでは良かったが、その後、「えいっ!」とペダル踏んだ瞬間、どこがどうなったか分からないが、そのまま前に半回転はしたと思うが、兎に角、派手に転び、恥ずかしさと変な痛みの中、自転車を引いて歩きながら、「やはり、病院へ行こう。」と、それでも、割と気楽な気持ちで診察を受けた。
運が良いのか悪いのか、烏丸通りを下がると社会保険京都病院があった。
そして、レントゲンを撮ったのだが、技師さんに、気楽な気持ちで質問すると、「いや、これは入院ですね。折れてます。」という答えが返ってきた。
それから、両腕を三角巾で吊るす生活を一ヶ月ほどしたのだった。
病室へ行く間、会う看護婦さん会う看護婦さん、私を見て笑うのだ。
後で聞くとよほど私の状態が珍しかったそうだ。
入院中、私は、『帰りたい風景ー気まぐれ美術館』(洲之内徹著 新潮社刊)を繰り返し何度も読んでいた。あの当時、白洲正子さんと洲之内徹さんの本は、私のまさしく座右の書であった。
其の中で、「青い、小さな、スーッとするような絵」という回があって特に印象に残っているし、今でも、思い出す。
この回は、Kさんという元看護婦さんが、洲之内徹さんの本の口絵に載っていた、「ポアソニエール」という海老原喜之助さんを絵を見たことが発端になる話だ。その何が、印象に残るのかというと、そのKさんは、その時は本を買うお金がなくて後で買おうとしたのだが、売り切れていて、しかも、本の名前も、著者も絵の名前さへも覚えてなかった。それで、本屋の店員に言った言葉が、『「青い、小さな、スーッとするような絵」の載っている本』なのだ。
つまり、絵しか見ていないのだ。ただただ、それだけだったのだ。
絵を見るというのはこういうことだと思う。
これしかないと思う。
それが、音楽でも字でも、花でも香でもいい。
兎に角、これがなくては何の意味もなさないと思うのだ。
見栄で見聞きするような輩には、決して分かるまい。
だから偉いとか偉くないとか、良いとか悪いとか、そういう事では全然ないが、しかし、決して分からないだろう。
そのことは確かだと言える。
とはいえ、どうも頭が可笑しいのか、悶々としている位の可笑しな緊張感を感じていた頃、大学の表門の所で、対向してくる自転車を避けようとして、そこまでは良かったが、その後、「えいっ!」とペダル踏んだ瞬間、どこがどうなったか分からないが、そのまま前に半回転はしたと思うが、兎に角、派手に転び、恥ずかしさと変な痛みの中、自転車を引いて歩きながら、「やはり、病院へ行こう。」と、それでも、割と気楽な気持ちで診察を受けた。
運が良いのか悪いのか、烏丸通りを下がると社会保険京都病院があった。
そして、レントゲンを撮ったのだが、技師さんに、気楽な気持ちで質問すると、「いや、これは入院ですね。折れてます。」という答えが返ってきた。
それから、両腕を三角巾で吊るす生活を一ヶ月ほどしたのだった。
病室へ行く間、会う看護婦さん会う看護婦さん、私を見て笑うのだ。
後で聞くとよほど私の状態が珍しかったそうだ。
入院中、私は、『帰りたい風景ー気まぐれ美術館』(洲之内徹著 新潮社刊)を繰り返し何度も読んでいた。あの当時、白洲正子さんと洲之内徹さんの本は、私のまさしく座右の書であった。
其の中で、「青い、小さな、スーッとするような絵」という回があって特に印象に残っているし、今でも、思い出す。
この回は、Kさんという元看護婦さんが、洲之内徹さんの本の口絵に載っていた、「ポアソニエール」という海老原喜之助さんを絵を見たことが発端になる話だ。その何が、印象に残るのかというと、そのKさんは、その時は本を買うお金がなくて後で買おうとしたのだが、売り切れていて、しかも、本の名前も、著者も絵の名前さへも覚えてなかった。それで、本屋の店員に言った言葉が、『「青い、小さな、スーッとするような絵」の載っている本』なのだ。
つまり、絵しか見ていないのだ。ただただ、それだけだったのだ。
絵を見るというのはこういうことだと思う。
これしかないと思う。
それが、音楽でも字でも、花でも香でもいい。
兎に角、これがなくては何の意味もなさないと思うのだ。
見栄で見聞きするような輩には、決して分かるまい。
だから偉いとか偉くないとか、良いとか悪いとか、そういう事では全然ないが、しかし、決して分からないだろう。
そのことは確かだと言える。