今日、レッスンの時に、「他人の大まかなポジションの違いは分かるけれど、細かい所は分からないです。」と先生に話をした。事実なのだからしょうがない。
結局のところ、私は、発声に関してそれほど苦労がない。無くはないが、無いと言っても差支えがない。と思っている。先生探しで二度失敗しているが、それも、割と早い段階で気がついてやめて、今の先生についたし、しかも、その時も、明確な方針と確信があったのだから、真剣ではあったが、15年も喉の機能障害で高音が出ないというような苦労ではない。
また、独学による暗中模索というのも経験がない。一ヶ月前に「どうしたもんか?」というのがあったが、それも、今はほぼ解決に向かっている。
知識にしても経験にしてもすべて、自分の頭の中に在るもので、ひらめきもそれら「在るもの」が無ければ出てきようがない。
指導者というのが難しいのは、以前にも書いたように思うが、兎に角、失敗と成功の経験値の絶対的多さであって、どれだけ寄り道したかにかかっている。しかも、厄介だと思うのは、暗闇の中を僅かな明かりで寄り道しながらも正道に近づく感性がないといけない点だと思う。もちろん根気がいるのは当然の話だ。
うちの先生のレッスンを受けていて、呆れる事半分、感心半分に思うのは、アドバイスが簡潔で的確な点だ。言われる通りして、しかも大抵、自分の感覚でも上手く行っていることが分かる。しかし、それが点的かつ微妙な力加減なのだ。それを瞬時に簡潔に言われる時、「人なんか教えられるもんじゃない。」と私は自分を分析して思う。
伯楽がいないということを実感する為には、伯楽を見つけて習わなくてはならないというのは、なんとも皮肉だと思ったりもする。
結局のところ、私は、発声に関してそれほど苦労がない。無くはないが、無いと言っても差支えがない。と思っている。先生探しで二度失敗しているが、それも、割と早い段階で気がついてやめて、今の先生についたし、しかも、その時も、明確な方針と確信があったのだから、真剣ではあったが、15年も喉の機能障害で高音が出ないというような苦労ではない。
また、独学による暗中模索というのも経験がない。一ヶ月前に「どうしたもんか?」というのがあったが、それも、今はほぼ解決に向かっている。
知識にしても経験にしてもすべて、自分の頭の中に在るもので、ひらめきもそれら「在るもの」が無ければ出てきようがない。
指導者というのが難しいのは、以前にも書いたように思うが、兎に角、失敗と成功の経験値の絶対的多さであって、どれだけ寄り道したかにかかっている。しかも、厄介だと思うのは、暗闇の中を僅かな明かりで寄り道しながらも正道に近づく感性がないといけない点だと思う。もちろん根気がいるのは当然の話だ。
うちの先生のレッスンを受けていて、呆れる事半分、感心半分に思うのは、アドバイスが簡潔で的確な点だ。言われる通りして、しかも大抵、自分の感覚でも上手く行っていることが分かる。しかし、それが点的かつ微妙な力加減なのだ。それを瞬時に簡潔に言われる時、「人なんか教えられるもんじゃない。」と私は自分を分析して思う。
伯楽がいないということを実感する為には、伯楽を見つけて習わなくてはならないというのは、なんとも皮肉だと思ったりもする。