給料日のあくる日、今日は寿司だと思って食べに行く。そんな高いものは食べられないが、身の丈にあったものを頼む。
1番お安い握り八貫と鉄火巻一本と揚げ物。
勘定を済ませて外に出ると月が綺麗だった。12月も10日過ぎたとはいえ、コートはいらないくらいなので、少し歩く事にした。
その帰りコンビニへ寄って少し買い物をしたのだが、レジで並んでいると変わった風貌のお兄さんが入ってきた。混んだレジの前で並んでいるとそのお兄さんが私の後ろへ。
月のせいか、疲れのせいか、お釣りを財布に入れる時お金を落としてしまった。
レジのスタッフさん側からは見えるが私からは見えない。スィーツの棚の下に入ったようだったが、その時、そのお兄さんが、まごついている私に代わって棚の下にあるお金をとってくれた。
私は、ありがとうございます。優しい!
と言うと笑顔になったのだが、この値段は10円だ。
私は、すこぶる儲けたと思った。
お金に余裕などない。けれども、10円で人の優しさを間近にしたのなら、本当にラッキーだと思いながら、月夜を帰路についた。
お金の価値を考えながら。




山里は冬ぞさびしさ
まさりけり(る)
人目も
草も
かれぬと
おもへば

古今集 冬ぞ 315 源宗干朝臣




言葉というのは、それも説明というのはある限定された条件下で発せられるごく限定的なものであって、微細な感覚を要する芸事の全容を一言で言うことなど不可能な事は当たり前だと思います。


発声に関しては、師匠が発信してるし、破門になりたくないから私は特に言うつもりはありません。第一、最新のメソッドをしらないし。
筆法はというとオープンソースにしてるので、これでもか、と説明してるつもりなのですが、打てば響くようなコメントは、京都在住の小島祐一さんという絵描きさんが返してくださるくらいで、本職と言われる人は、いいねはあってもコメントはほぼなかったりします。

体というのは、例えば筋肉にしても、脳と腸の関係にしてもつながっているわけで、各部が適切に動いてさらに全体が有機的に連動してはじめて人の動きとなる訳で、
皆さんそうやって生活してますよね?
と思ったりします。

発声も筆法も体の使い方なのだから、分かりそうなものだけれど、恐らく、別のメンタルな理由があるんだろうなぁ、と考えますが、そんな事で頑張るより、別のとこで頑張った方が建設的だと思うのは、格別変な話ではないと思いますが、どうでしょう?

升色紙から

ふゆながら
そらより花のふ(ち)りくるは
雲のあなたは
はるにやあらん

今の私達親子の心情です。


最近インスタで他の人の字を見る機会が増えた。分かってはいたことなので事さらに声高に言うつもりはここではないが、困ってしまう。
漢字だろうが、仮名だろうが、基本は入木道という考えであって、その為の筆法、その為の臨書である。
けれども、その為の技術が抜けている。
好きでとか、デザイン書道とかパフォーマンスとかいうのなら、要らない技術ではあると思うから、それは除外する。

そうではなく、一応、人に教えるとか、公募展に出すとか、書家とか言って、先生として、または書を習う者として、臨書するのならば、入木道の具体的な研究は避けては通れないし、それがないのは、パッサッジョもアクートもないのと同じで、はぁーーーー、なんて声門閉鎖のない声で、ヴェルディのオペラを歌うくらい滑稽な話なのだが、それが世間の常識のようだ。




これは本当に困ったと思いながら、うちの発声の師匠の事を考えた。

やるしかないなと。

父も私も後がないのだ。

それにつけても、安易に流れる人の性の、虚栄心の浅はかさも、非論理的思考も、書道も発声も流石、同じ人がやる事、なんも変わりがない。

つわものどもはいる、そう信じてやるしかない。




月見れば(月見連者)
千々にものこそかなしけれ
我が身ひとつの秋にはあらねど
百人一首23 大江千里
古今集 193