7月3日は、ドイツの作家、フランツ・カフカが生まれた日(1883年)だが、フランスのシンガーソングライター、ミッシェル・ポルナレフの誕生日でもある。
ミッシェル・ポルナレフは、1944年、フランスのネラックで生まれた。
父親はウクライナで生まれたユダヤ系ロシア人で、フランス移住後は、ジャズ・ピアニスト、作曲家として活躍した。母親はフランス人のダンサーだった。
5歳でピアノを弾いていたミッシェルは、プライベートスクールで音楽の英才教育を受け、ピアノのほか、ギターも演奏した。
学校を出た後は、軍務につき、保険業界で働いた後、音楽活動をはじめた。ポルナレフは、対抗文化(カウンターカルチャー)とロック・ミュージックの影響を受け、ポップ・ミュージックを志した。
1966年、21歳のとき、デビューシングル「ノンノン人形(何もしない人形)」を発表。この曲は大成功を収め、ミッシェル・ポルナレフの名は国内外に広まった。
大きなサングラスに奇抜なコスチューム、ピアノやギターを弾き語りする美声の青年は「愛の願い(ラヴ・ミー・プリーズ・ラヴ・ミー)」「愛はあの人の胸に」「渚の想い出」「想い出のシンフォニー」などの曲を立てつづけにヒットさせた。
歌詞がわいせつだとか、自分のお尻を露出させた宣伝用ポスターだとか、物議をかもすことも多いながら、その人気は拡大し、シルヴィ・ヴァルタンと並びフレンチポップスを代表する世界的アーティストとなった。
日本では「ノンノン人形」の後、「シェリーに口づけ」「愛の休日」「忘れじのグローリア」などがヒットし、広く知られる存在となった。
1973年、29歳のとき、合衆国へ移住し、本拠地を米国西海岸に移した。横領事件に巻き込ま、ノイローゼになり、また、一時期はフランスへ帰れなかった時期もあったが、彼は休止期間をはさみながら音楽活動を続けた。
50歳のとき、白内障が悪化し、失明寸前の危機におちいるも、手術を受け視力は回復。2007年、63歳のときには、母国フランスで34年ぶりにコンサートを開いた。
かつて洋楽といえばフレンチポップスという時代があり、その代表がポルナレフだった。「愛のコレクション」「僕はロックンローラー」など懐かしい。
たぶん当時の日本のリスナーの多くは、詞の意味を理解せず、そのメロディとリズム、フランス語の響きに、純粋に魅了されたのだろう。日本での記念碑的ヒット「シェリーに口づけ」は、原題は「すべて、すべてをぼくの愛する人のために」の意で、その歌詞の「すべて、すべて(Tout, tout)」の部分が口づけを連想させたのだろう。
歌舞伎の世界では、型ができていないくせに自己流でやりだすのを「型なし」、型ができた後に型を打ち破ろうとするのを「型破り」というそうだが、ポルナレフは明らかに後者である。その奔放型破りなスタイルがまぶしい。
おそらく2007年、63歳のときであろう、フランス・パリのエッフェル塔前に集まった60万人の大観衆の前でポルナレフが弾き語りした「フランスへの手紙」をYouTubeで聴いたが、感動にことばもなかった。
(2026年7月3日)
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