7月2日は、独国の作家、ヘルマン・ヘッセが生まれた日(1877年)だが、仏国のファッションデザイナー、ピエール・カルダンの誕生日でもある。
ピエール・カルダンは、1922年、イタリアのサン・ビアージョ・ディ・カッラルタで生まれた。ムッソリーニのファシスト党内閣が成立した年である。父親は裕福な地主だったが、イタリアをファシズムの影がおおうのを見て、土地への未練を捨て、フランスへ移住した。ピエールは2歳だった。父親はフランスでワイン商として成功した。父親は息子に建築家になってほしいと希望していたが、ピエールは子どものころからドレス作りに興味があって、そちらに進んだ。初等教育をフランスの中部で受けたピエール・カルダンは、14歳で服作り工房の奉公人になり、そこで服の構成、デザインなど基礎を学んだ。
17歳のとき、カルダンは家を離れ、ヴィシーの服屋に就職し、そこで女性用のスーツを作った。その年に第二次世界大戦がはじまった。大戦に際し、カルダンは赤十字のために働いた。このころから彼は人道主義を信条として行動しはじめ、この傾向はその後も彼の生涯を通して続いている。第二次大戦が終わると、23歳のカルダンはパリに出て、女性デザイナー、エルザ・スキャパレッリといっしょに仕事をした。
スキャパレッリは、ショッキング・ピンクの色の採用や、幾何学的模様、だまし絵を取り入れたデザインなど、前衛的、刺激的な作風で人気があった女性デザイナーで、当時欧米では、スキャパレッリの人気がココ・シャネルのそれを圧倒していた。
カルダンはやがてスキャパレッリのもとを離れ、25歳のときクリスチャン・ディオールのアトリエで働きはじめた。クリスチャン・ディオールは、腰を細くしぼり、裾を長く、素材の生地をぜいたくに使ったエレガンスなデザイン「ニュー・ルック」の人である。
カルダンは28歳で独立し、31歳でオートクチュール(高級オーダーメイド・ドレス)をはじめ、また、プレタ・ポルテ(高級既製服)にも力を入れた。
彼は、たわんだひも状の飾り部分のある投げ縄ライン、からだの線を見せたヌード・ルック、ユニセックスの宇宙服を思わせる宇宙ルック、無機質な素材感を生かしたコスモコール・ルックなど、斬新、前衛的なデザインを次々と発表し「布地の魔術師」と呼ばれた。
デザインだけでなく事業展開も斬新で、百貨店と契約し、そこに自分のブランドの店舗を出した。そうして、デパートで高級なデザインの服を、安価なプレタ・ポルテとして手に入れられるようにし、デザイナー服の大衆化を推し進めた。
カルダンのオートクチュールは下降線をたどりだし、ブランド既製服の人気は急上昇した。
また、1960年代、40歳前後のころから、彼は自分のデザイン・ブランドの既製服に「ピエール・カルダン」のロゴを入れ出し、当時はめずらしかったこのブランド名銘記は世界の衣料界に衝撃を与えた。また衣服のほか、靴、香水、文房具、家具、自動車、ジェット機などのデザインも手がけ、レストラン経営もし、ライセンス貸しもおこない、ユネスコ親善大使として、チェルノブイリ原発事故の被害者救済など人道的活動に尽くすなど、幅広い分野で活躍した。
2020年12月、フランスのヌイイ=シュル=セーヌの病院で没した。98歳だった。
かつてカルダンの靴や服をよく着ていた。彼については、デザイナーとしての大成功もさることながら、子ども時代の志を貫いたみごとさに感心する。父親譲りの臨機応変さも兼ね備えていたのだろうけれど、変化のはげしい時代を、なかなかこうぶれずに生きられるものではない。
(2026年7月2日)
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