5月12日は、思想家クリシュナムルティが生まれた日(1895年)だが、映画女優キャサリン・ヘプバーンの誕生日でもある。
オスカーを4回獲得した唯一無二の映画俳優、キャサリン・ヘプバーンは1907年、米国コネチカット州、ハートフォードで生まれた。
本名はキャサリン・ホートン・ヘプバーン、父親は病院勤めの泌尿器科医、母親は女性解放の運動家で、キャサリンは六人きょうだいの二番目の子だった。
髪を短く切り、自分のことを「ジミー」と男の子の名で呼んでいたキャサリンは、教養高い、自由な空気の家庭に生まれた進歩主義的な両親の刺激を受けて育った。
毎週土曜日にはかならず映画館へ通っていた少女キャサリンは、友だちや兄弟たちと劇団を作り、近所の人たちに1枚50セントでチケットを売り、舞台劇を開いた。そうしてチケットの売り上げを貯めて、先住民のナバホ族に寄付した。
17歳で、ペンシルベニア州のリベラルな女子大学、ブリンマーカレッジに入学したキャサリンは、大学時代は演劇に打ち込み、歴史と哲学を修めて卒業した。
卒業後は舞台俳優を志したが、舞台を踏んでは「声が悪い」「才能がない」などの酷評を受け、劇団に解雇され、オーディションを受けてまた契約しと、トレーニングしながらニューヨークやコネチティット州の劇団を行ったり来たりする苦難の時期が続いた。
彼女が注目を浴びたには25歳の年のブロードウェイの古代ギリシャ劇「The Warrior's Husband(戦士の夫)」中の女戦士の役だった。身長172センチメートルの長身、やせたからだに細長い手足の彼女は、男勝りのアマゾネス役が当たり役となった。
女戦士の演技がハリウッドのスカウトの目にとまり、彼女は映画界に誘われた。キャサリンは、半分ことわるつもりで、週給1500ドルなら出てもいいとふっかけ、この法外な条件を映画会社はのんだ。こうして映画女優キャサリン・ヘプバーンが誕生した。
25歳の初出演作「愛の嗚咽」がヒットし、彼女の演技も好評を得た彼女は、翌年には3本目の出演映画「勝利の朝」で早くもアカデミー主演女優賞をとった。その後、「若草物語」「フィラデルフィア物語」「アフリカの女王」「旅情」「招かれざる客」「冬のライオン」「黄昏」「めぐり逢い」などに出演し、アカデミー主演女優賞を通算4度獲得した。
高い身長と、角張ったやせたからだ、ふだんからスカートをはかず、パンツルックで、歯に衣着せぬものを言い、批判に対して痛烈な皮肉とウィットで応じる知性派という、これまでハリウッドにいなかった新しい自立した女性像を彼女は打ち立て、米国映画史上でもっとも尊敬される女優となった。
彼女自身こう発言している。
「わたしはどうやら風変りなスタイルで人々を打ちのめしたようだ、でも、わたし自身、どうしてそうなるのかまったくわからないのだけれど。わたしは骨張った顔と骨張ったからだをもち、そしてわたしの思うには骨張った性格をもっているのだけれど、それらがジャブで打ったように人々に効いたのだ」(The New York Times.)
圧倒的存在感の女優、キャサリン・ヘプバーンは、2003年6月、コネティカット州オールドセイブルックで、老衰により没した。96歳だった。
キャサリン・ヘプバーンというと、「旅情」「若草物語」「黄昏」、そしてハンフリー・ボガードと共演した「アフリカの女王」を思いだす。
女の魅力、女優の魅力という以前に、ヘプバーンの場合、人間性の魅力がまず来る。
(2026年5月12日)
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