5月6日は、精神分析学者ジークムント・フロイトが生まれた日(1856年)だが、伝説の映画俳優ルドルフ・ヴァレンティノの誕生日でもある。
ルドルフ・ヴァレンティノは、1895年、イタリアのプッリャ州カステッラネータで生まれた。本名は長く、ロドルフォ・アルフォンソ・ラファエロ・ピエロ・フィリベルト・グリエルミィ・ディ・ヴァレンティナ・ダントグオラ。父親はイタリア軍の騎兵隊隊長から獣医になった人物で、母親はフランス人だった。
ロドルフォが11歳のとき、父親がマラリアで亡くなり、貧しい境遇となったが、容姿がかわいらしい笑顔の少年だった彼は、周囲に、とりわけ母親にかわいがられて育った。彼はジェノアの農業学校を出た後、しばらくフランスとイタリアを行きつ戻りつした後、18歳のとき、うだつの上がらない生活から逃げ出すべく、船に乗り、米国へ渡った。
米ニューヨークへ着いたロドルフォは、路上に寝起きし、知り合いに食べ物をもらったりしていた時期もあったが、19歳のころ、社交ダンス場のタンゴ・ダンサーの職を得た。また、高級レストランでタクシーダンサー(女性客の踊りのパートナー)として勤務するようになり、女性客の要望でダンス後のサービス残業もこなし、暮らし向きが上向いた。
顧客の女性の痴情スキャンダルに巻き込まれた彼は、ニューヨークに見切りをつけ、東海岸を離れた。
22歳のロドルフォは、オペレッタをやる一座に加わり、旅興行しながら西海岸のサンフランシスコにたどり着き、さらに、映画の役者になるべくロサンゼルスへ移った。
やがてロドルフォはハリウッドで悪者の端役として映画に出だしたが、悪役ばかりやらされるのに腐っていた。が、気に入っていたスペインの小説家ビセンテ・ブラスコ・イバニェスの小説『黙示録の四騎士』が映画化されると知り、映画会社に売りこみに行き、無声白黒映画「黙示録の四騎士」に、はじめて主要な役柄で出演した。
映画俳優ルドルフ・ヴァレンティノがアルゼンチン人の役を演じた「黙示録の四騎士」は、彼が26歳のときに公開された。公開されるやすなわち大ヒットし、批評家たちも絶賛した。この映画は、無声映画としてはじめて一〇〇万ドルの興行収入を達成した映画のひとつとなった。一躍トップスターとなったヴァレンティノはその後も、砂漠のアラブ人の族長を演じた映画「シーク」、ふたたびイバニェスの小説を原作とした映画「血と砂」に闘牛士役で出演し、映画「荒鷲」ではロシアの貴族を、映画「熱砂の舞」ではアラブの王子役を演じた。エキゾチックでセクシーな容貌をもつヴァレンティノは、異国の色男の役を多く演じ「偉大な恋人」と呼ばれるセックスシンボルとなった。
1926年8月15日、ヴァレンティノは、ニューヨーク市マンハッタンのホテルで倒れ、病院に担ぎ込まれた。虫垂炎と胃潰瘍を併発との診断を受け、緊急手術を受けたが、快方には向かわず、入院した八日後、帰らぬ人となった。31歳だった。
マンハッタンでおこなわれた「偉大な恋人」ヴァレンティノの葬儀には10万人が詰めかけたと言われる。街は暴動のような騒ぎになり、彼の死にショックを受けた女性たちがいく人も後追い自殺した。
ルドルフ・ヴァレンティノには、映画を観た米国女性たちに訴える強烈な魅力があった。彼が銀幕から見つめるからという理由で、彼の映画を観る際は、女性たちはたんねんに化粧してから出かけたという。ここに映画の原初的な魔法の発現を見る思いがする。
(2026年5月6日)
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