3月12日は、天才舞踏家、ニジンスキーが生まれた日(1890年)だが、米国の作家、ジャック・ケルアックの誕生日でもある。

ジャック・ケルアックは、ジャン=ルイ・レブリ・ケルアックとして1922年、米国マサチューセッツ州ローウェルで生まれた。フランス系の家庭で、家族がみなフランス語で会話した影響で、ジャンは6歳で小学校に入るまで英語を使わなかった。後に彼は英語やフランス語で詩を書いた。彼には兄と姉がいたが、ジャンが4歳のころ、兄が9歳でリウマチ熱により病死した。後にジャンは、以来兄は自分の守護聖人になったと語っている。
アメリカン・フットボールとレスリングに秀でていたジャンは、フットボールの推薦でコロンビア大学に進んだ。フットボールと文学、両者のあいだで揺れていた彼は、大学1年のときフットボールで足を骨折し、試合に使ってもらえなくなり、チームも大学もやめてしまった。学生新聞にスポーツ記事を寄せていた彼に残ったのは、文学だった。
彼が大学入学前から第二次世界大戦が始まっており、大学をやめた彼は大戦中、合衆国商船の船員になったり、海軍予備役に就いたりした。
商船船員時代から小説を書いていた彼は、友人とアメリカやメキシコを放浪するドライブ旅行に出かけた。この経験をもとに、初の長編小説『ザ・タウン・アンド・ザ・シティ』を書き上げ、28歳のときにジョン・ケルアックの名で発表した。が、不評だった。
彼は次の作品にとりかかった。彼はタイプライターに紙をセットし直すロスを嫌い、休みなく執筆できるよう、タイプ用紙をテープで貼りつなげて36・5メートルの長いロール紙にしておき、それをタイプライターにセットして、一瀉千里に新作を書き上げた。29歳の彼が3週間で書き上げた長編小説『路上』。が、出版する版元がなかなか見つからない。
彼は鉄道の作業員や国立観光施設の監視院などさまざまな職に就いて資金を貯めては、また旅行に出かけたり、執筆したりしながら、出版社への打診を続けた。
そして35歳のとき、ようやく『路上』がジャック・ケルアックの名で出版された。発行すなわち反響すさまじく、売れ行きも素晴らしかった。
酒びたりでビバップジャズを聴き、うつの気分で文明社会を憂える「ビートニク(ビート世代)」の王となったケルアックはその後『地下街の人びと』『禅ヒッピーたち』『ドクター・サックス』『マギー・キャシディ』『ジェラールの幻想』を発表。そうして次のヒッピー世代、ロック世代に大きな影響を与えた彼は、1969年10月20日の朝、フロリダ州セントピーターズバーグの家で執筆中、とつぜんトイレに立ち吐血した。病院で治療を受けたが、翌日に没した。長年の飲酒からの肝硬変による内出血が死因とされる。47歳だった。

たしか、デヴィッド・ボウイがかつてこう言っていた。「16歳のときケルアックの『路上』を読んだ。以来考え方はそのときのまま変わっていない」と。それで『路上』を読んでみた。それがケルアックの知り始めだった。

2007年の冬、ニューヨーク公共図書館に寄ると、たまたまケルアック展をやっていた。その展示であの120フィートのロール紙の実物を見た。原稿の途中を10メートルほど平たく広げてあって、タイプされた英文がびっしりと並んでいた。両端はロール状に巻かれて、どっしり重たげだった。圧巻。
(2026年3月12日)

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