2月27日は、『エデンの東』を書いた文豪スタインベックが生まれた日(1902年)だが、ファッションデザイナー、高田賢三(たかだけんぞう)の誕生日でもある。
高田賢三は、1939年、兵庫県の姫路で生まれた。男女7人きょうだいの5番目の子だった。
彼は服飾関係志望だったが、男性を受け入れる洋裁学校が見つからず、神戸市外国語大学二部英米学科に進んだ。が、中退し、男性に門戸を開いたばかりの東京の文化服装学院に、両親の猛反対を押し切って入学した。高田は同学院のデザイン科デザイン科在学中に装苑賞を受賞し、アパレルメーカーに就職した後、25歳のとき、友人といっしょにファッションの本場フランス行きの船に乗った。
フランスで彼は日本の雑誌向けに記事を送って口を糊していたが、ふと思いつき、デザイン画を描いて、オートクチュール・メゾンを持つ有名ファッションデザイナー、ルイ・フェローに持ちこんでみた。すると、それが売れた。
高田はファッション誌の編集部にデザイン画を持ちこむなどして食いつなぎ、それが縁でパリのドレスメーカーに就職。そして1970年、31歳のときに独立した。パリにプレタポルテ(高級既製服)のブティック「ジャングル・ジャップ」(後の KENZO、ケンゾー)をオープンした。手描きの内装、安く手に入れた木綿の反物や端切れで作った服と、資金の乏しい中でやりくりし、オープニング・コレクションを発表した。これが好評を呼び、高田のブランド「KENZO」の名はたちまちファッション界に鳴り響いた。
プレタポルテ・ブランドのデザイナー「スティリスト」となった高田は、「中国ルック」「ミリタリー・ルック」など話題作をつぎつぎと発表し、パリのモード界に新風を吹き込み、イヴ・サン=ローラン、三宅一生らと並んで1970年代のプレタポルテ時代のけん引役となった。ただし、しばしば経営難にぶつかった。
経営の浮き沈みをへて、54歳のときに「KENZO」ブランドをLVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)に売却。そうして60歳のとき、いったん引退した後、「TAKADA」というブランドでファッションデザイナーとして復活。服飾のほか、ホテルの総合プロデュースやオリンピックのユニホーム作りなどに参画した。資金繰りに苦しみ、68歳で自己破産する憂き目にもあったが、パーティー好き、カジノ好きの派手な生活スタイルを貫いた。
日本の紫綬褒章、フランスのレジオン・ドヌール勲章シュバリエを受けた高田は、2020年9月に新型コロナウイルスに感染し、同年10月、パリ郊外の病院で没した。81歳だった。
「パリを拠点にデザイナー活動を始めてから半世紀近く経ち、たくさんの山と谷を経験しました。そんな僕の経験からいえるのは、『自分はどんな服をつくりたいのか』を考え抜くことの大切さ。僕の場合は、日本人であるというアイデンティティで勝負することでした。本当にやりたいことを明らかにしたら、何があってもぶれずに貫く。それが世界で戦う時のベースになったのだと思います。」(「肖像 高田賢三」SOW.TOKYO)
高田賢三はバイセクシュアルだったようだ。友人だったイヴ・サン=ローランも同性愛者だったが、きらびやかな色彩に満ちたデザインを生みだす高田独特の感性は、狭い嗜好にこだわらない、そうした自由な感性に裏打ちされていたからこそだったのかもしれない。
それにしても、前途の保証なしに上京、渡仏、創業と、度胸と冒険心に満ちたたくましい生き様だった。
(2026年2月27日)
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