2月16日は、テニスの芸術家、ジョン・マッケンローが生まれた日(1959年)だが、自称「プロのヒッピー」スティーブン・ガスキンの誕生日でもある。

スティーブン・ガスキンは、1935年2月16日、コロラド州デンバーで生まれた。
17歳から20歳のころまで海兵隊にいたガスキンは、20代後半だった1960年代にはカリフォルニア州のサンフランシスコ州立大学で英語を教える教師になっていた。創作作文のクラスを受け持っていた彼は、熱心な受講生たちを連れて大学の外へ飛び出し、太平洋岸の講堂でおこなう夜のオープンキャンパス「月曜夜間クラス」を開くようになった。
この夜のクラスには、サンフランシスコを中心とする西海岸地域から多くのヒッピーたちが集まってきて参加した。1968年から1970年にかけての頃だった。
「ヒッピー」とは、おおまかに言えば、長髪、ヘアバンド、ペイズリー柄、カラフルなシャツ、ベスト、ベルボトムのパンツといったファッションに身をまとい、ロックやフォーク音楽を聴き、マリファナやLSDにふけり、愛と平和を賛美し、東洋思想や神秘主義に傾倒し、精神や自然について語り合い、産業社会であくせく働くことを拒否し、のんびり怠惰に、ボヘミアン的に暮らす人々のことを指している。
ガスキンの夜間クラスには1500人の聴講生が集まった。彼らにガスキンは、幻覚剤や麻薬などによる意識拡大や、超自然的な体験を語り、環境意識の大切さを説いた。
そんなアシッド(LSD)の導師のもとへ、全米の教会から講演依頼が舞いこんだ。精神性の価値、あるべき新しい社会について講演してほしい、と。1970年、ガスキンは彼の信奉者たち200人を60台のバスに分乗させて連れ、4カ月かけて全米各地を講演してまわった。
4カ月間のキャラバンを終え、サンフランシスコへ帰還した彼らは話し合い、
「どこかに土地を手に入れて、コミューンを作ろう」ということになった。
お金を持ち寄り、寄付を募り、全米に土地をさがし、彼らはテネシー州ルイス郡にあるブラック・スワン牧場に引っ越した。ざっと1700マイルを大移動。森と原野が広がる1064エーカーの土地に移り住んだ。1971年、大自然そのままの原野で、ヒッピーたちの共同生活が始まった。そこを彼らは「ザ・ファーム」と名づけた。
当初、軍用テントを張って寝起きしていた彼らは、住居用の家屋や様々な施設を次々と建設し、近隣の農家の人々に森林の伐採法や農作物の育て方を教わり、発展していった。

ザ・ファームは、安全な助産術の普及に貢献し、被虐待児童の保護に尽力している。また、国内外の環境保護、動物愛護、天災にあい困窮する人々の救済に取り組み、高く評価されてきた。彼らが組織した国際救援団体「プレンティ」は1980年、「もう一つのノーベル賞」と呼ばれる「ライト・ライブリフッド賞」を受賞している。

ザ・ファームの人々は「ヴィーガン」である。

ザ・ファームの基本ルールは非暴力と、母なる地球への崇敬である。そこでは精神性が重んじられるが、特定の教義はない。コミュニティー設立時の共通認識は、生の神聖さと、マリファナの喫煙は神聖な行為であるというものだった。彼らは、LSDの経験はみんなをひとつにつなぎ、意識をさらなる高みへ導くと信じていた。

ザ・ファームの人々は、性については、保守的である。
一般に「ヒッピー」の集まりというと、乱交・フリーセックスの偏見が流布しているが、ザ・ファームでは、婚姻を聖なる契約だと尊重していて、コミュニティー内では乱交はあり得ないし、婚前交渉は基本的に禁止。セックスは結婚後に、というのがザ・ファームの基本ポリシーである。

ロック・バンド「ザ・ファーム・バンド」のドラマーとして、コミュニティー内外で演奏し、レコードも出し、国際的活動家、講演家でもあった一代のカウンター・カルチャー・ヒーロー、スティーブン・ガスキンは、2014年7月に没した。79歳だった。
(2026年2月16日)

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