1月21日は、ファッション・デザイナー、クリスチャン・ディオール生まれた日(1905年)だが、実業家ポール・アレンの誕生日でもある。マイクロソフトの共同創業者である。

ポール・ガードナー・アレンは1953年、米西海岸ワシントン州シアトルで生まれた。父親は図書館の司書で、母親は4年生(9~10歳)を教える教師だった。
シアトルの名門私立校レイクサイド・スクールに入ったポールは、当時テレタイプで通信していたコンピュータにのめりこんだ。彼は同じ興味をもつ2歳下の同校生徒ビル・ゲイツと親しくなり、二人で学校の端末でプログラミング術を習得した。彼らはまたワシントン大学の研究室にも出入りしていたが、二人があまりにコンピュータを独占し、過大な負荷をかけたため、しまいには研究室から追い出された。
米国では、大学進学を希望する高校生はSAT(Scholastic Aptitude Test、学校教育適性テスト)を受けて志望大学を絞っていくが、ポール・アレンはSATで満点の1600点を取り、ワシントン州立大学に進学した。が、2年後、年下のビル・ゲイツがハーバード大学に入ると、アレンは大学を中退してハーバードのある東海岸のボストンへ引っ越し、そちらのIT企業に転職した。そして22歳のとき、アレンはゲイツを説得し、ゲイツを休学させて引き抜き、コンピュータ・ソフト会社、マイクロソフト社を立ち上げた。
彼らはずっとコンピュータ端末にとりつき、お腹が減れば宅配ピザを食べ、眠くなったらその辺に寝ころがって仮眠をとり、目が覚めたらたらまた端末にとりつく、そして時々商談にでかけるという生活スタイルを続け、ソフトを作り、一方でよそのソフトを買収しながら会社を発展させていった。
それまでコンピュータは、スーツを着たIBM社のビジネスマンがコンピュータ端末を大企業に売って歩くハードの時代だった。その巨人IBMからソフト制作を受注していた若造たちのマイクロソフト社が、IBMをしのいで大きく育ち、ソフトの時代を切り開いた。、
アレンとゲイツのマイクロソフト社は、オペレーティングシステムのMS-DOS、Windowsを開発し、ワード、エクセル、パワーポイント、インターネット・エクスプローラーを世界中に売った。会社でみんなで使うものだったコンピュータが一人1台の時代になり、インターネットの網が地球上を包んだ。
アレンは病気のため、マイクロソフト社を30歳のときに退社し、37歳で復帰した。そして47歳で再び退社、取締役も退任した。退任後は、資産運用や投資、慈善事業など幅広い分野で活動していたが、血液のがんである非ホジキンリンパ腫による敗血症のため、2018年10月、シアトルで没した。65歳だった。

アレンが33歳のとき、マイクロソフト社が株式上場し、株式を持っていたアレンとゲイツは億万長者になった。4対6で、自分の功績を主張するゲイツが多くもっていたが、この株式をめぐって、彼ら創業者2人はそうとうやりあったらしい。アレンが30歳で退社するとき、ゲイツは彼の株を1株5ドルで買い取ろうとした。しかし、アレンは譲らなかった。それで彼は社の取締役会に残り、上場(初値1株21ドル)によって億万長者になることができた。アレンはそのお金を投資し、金融のほか、都市開発、宇宙開発、病気治療研究、脳科学研究、海底調査、環境保護、教育助成、芸術支援、映画製作、スポーツチーム経営に役立てた。その興味の幅は驚くべきである。
アレンは生涯結婚せず、妻も子もいない。彼の遺産執行人は妹が務めているという。
(2026年1月21日)

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