12月3日は「ワン、ツー、スリー」というマジシャンの声かけにちなんで奇術の日だが、この日は映画監督ジャン=リュック・ゴダールの誕生日でもある(1930年)。
ジャン=リュック・ゴダールは、1930年、フランスのパリに生まれた。父親は医者で、スイス系のプロテスタントだった。ジャンは、4人きょうだいの上から二番目だった。
比較的裕福な家庭に育ったジャンは、ソルボンヌ(パリ大学)では民俗学を専攻した。学生時代から映画マニアだった彼は、20歳のころから映画批評誌に評論を発表しだした。
20代前半のころは、自由気ままなその日暮らしを送ったり、ダムの工事現場で働いたりしていたが、20代半ばから「カイエ・デュ・シネマ」誌の編集をはじめ、やがて20世紀フォックス・パリ支局の宣伝部に勤務しながら、短編映画を撮影した。
1959年、29歳のときに長編第一作「勝手にしやがれ」を発表。
「勝手にしやがれ」は、手ブレのひどい手持ちカメラでの街頭をロケ撮影、即興の演出、同時録音、隠し撮りをおこない、画面の連続性を無視したフィルム編集、ロケ中に通りかかった一般の通行人がカメラのほうをいぶかしげに振り返るさまが画面に写りこんでいるなど、従来の映画文法をぶち壊した映画作法で世界に衝撃を与え、ベルリン国際映画祭で監督賞である銀熊賞を受賞した。
この一作でゴダールは、既存の映画手法を否定する「ヌーヴェル・ヴァーグ(新しい波)」の旗手として世界中の注目を浴びる存在となった。以後、ゴダールは、
「女と男のいる舗道」「軽蔑」「気狂いピエロ」「彼女について私が知っている二、三の事柄」「パッション」「カルメンという名の女」「ゴダールのマリア」「ゴダールの映画史」「アワーミュージック」などを発表し、その作品と発言により、世界中の映画ファンや知識人からつねに注目を集める存在でありつづけてきた。
2022年9月、日常に困難を来す難病をたくさん背負いこんでいたゴダールは、スイスで合法化されている自殺ほう助を利用し、安楽死した。91歳だった。
米国ハリウッドの映画とは、まったく異なる思想で作られた映画。哲学的であり、詩的であり、音楽的、かつ絵画的で、映画を観る人に、つねに映画を観ていることを意識させる映画。それがゴダール作品である。
出世作「勝手にしやがれ」は、時間の流れをぶつ切りにした斬新なフィルム編集で世界に衝撃を与えたが、これは仕方なくそうなったものらしい。ゴダールは述べている。
「つないでみると、二時間十五分から三十分くらいの長さになったのです。そのままではプロデューサーに渡すことはできません。契約によって、一時間三十分以内の長さにおさめることが決められていたのです。だから私は、よくおぼえていますが、あの例の、今ではコマーシャル・フィルムでよくつかわれている編集のやり方を考え出し、そのやり方で映画を短くしてゆきました。(中略)リズムというのは、ある制約と、ある一定の時間のなかでその制約を自分のものにしようとすることのなかから生まれるからです。(中略)あの編集のやり方も、まさにこうした形で発見されました。」(奥村昭夫訳『ゴダール映画史(全)』)
ゴダールの「気狂いピエロ」「パッション」をみて、自分の映画観は変わった。以来、
「すごくおもしろくない映画が好きそう」と言われるようになった。すべてゴダールのせい、否、ゴダールのおかげである。
(2025年12月3日)
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