9月16日は、画家の竹久夢二が生れた日(1884年)だが、国連で活躍した国際政治学者、緒方貞子の誕生日でもある。

緒方貞子は、1927年、東京で生まれた。母方の曾祖父が犬養毅首相で、父親は香港総領事を務めた外交官という名門だった。「貞子」の名前は犬養毅がつけた。
貞子は米国へ留学した後、33歳の年に結婚。生まれた子どもを育てながら、大学の非常勤講師をしていた彼女が41歳になる年に、市川房枝が訪ねてきた。戦前から婦人参政権運動の先頭をきってきた女性政治家、市川は、緒方に国連の代表団に加わって米国ニューヨークへ行ってくれないかと頼みにきたのだった。
緒方は承諾し、ニューヨークへ渡り、41歳で国連にデビューした。
49歳のころからは、国連の日本政府代表部に勤務し、1990年、63歳のときに8代目の国連難民高等弁務官(UNHCR)に就任した。
イラクによるクエート侵攻があったころで、緒方が就任すると、すぐにイラク国内のクルド人難民の問題が起きた。これは、当時のイラク・フセイン政権によるクルド人への攻撃から逃れようとしたクルド人難民が、トルコ国境へ押し寄せ、発生した問題だった。国内のクルド人によるテロ問題を抱えていたトルコ政府は、国境を閉じ、クルド人難民を追い返した。クルド人の難民はイラク国内から出られず、トルコにも入れてもらえず、国境近くの寒い山岳地帯で、食糧もテントもないまま立ち往生し、赤ん坊や幼児がばたばたと死んでいた。そこに立ち上がり、救いの手を差し伸べた高等弁務官が緒方貞子だった。
当初、UNHCRの事務所内では、UNHCRは手を出すべきではないという意見がすくなくなかったという。UNHCRは難民を救うのが任務だけれど、難民の定義は「国外にいて、迫害され危険な状態にある人々」なので、イラク国内にとどまっているクルド人は難民にあたらず、これを救うと救済の限度がなくなるから、と。
緒方はみんなの意見をひと通り聞いた上で、クルド人難民の救済を決定した。
「大切なのは、ルールを守ることでなく、命を救うことだ」
テント、食糧、医薬品などが難民たちに供給され、国連軍も平和維持に動いた。
その後も緒方貞子は、1992年のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争や、1994年のルワンダの大虐殺に際しても、つねに難民の立場に立って、救済を決定した。
2000年、73歳のときに高等弁務官を退任した後も、緒方はアフガニスタン復興支援国際会議、国際協力機構(JICA)など、国際協力をうながす組織で活躍した。
国境を越えた「人類愛の象徴」緒方貞子は、2019年10月に没した。92歳だった。

UNHCR時代の緒方は、どこの国も自国の利益にならないからと手を出したがらないために、放置されたままになった紛争地帯へ進んで乗り込んでいき、危機に瀕している人々の声をその耳で聞き、彼らが必要としている手だてを敢然と実行した。弱者を重視する現場主義者であり、ルールを軽視する目的第一主義者だった。
偉大な人物が日本にもいた。彼女の英断によって多くの命が救われたアフリカには、「サダコオガタ」と名づけられた女の子が、あちこちにいる。
(2025年9月16日)

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