9月4日は、語呂合わせから「くしの日」だが、米国の認知科学者ジョン・マッカーシーの誕生日でもある。いまをときめくAI(人工知能)、その父である。
「人工知能の父」ジョン・マッカーシーは、1927年、米国マサチューセッツ州のボストンで誕生した。父親はアイルランド移民で、母親はユダヤ系のリトアニア移民だった。
ジョンが2歳のとき、ウォール街の株が大暴落し、世界恐慌がはじまった。この不況期に引っ越しを重ね、生活の安定に苦しんだマッカーシー一家は、父親が衣服業界の労働組合の加入勧誘員となり、ロサンゼルスにようやく腰を落ちつけた。
少年時代から抜群の成績を修めていたジョン・マッカーシーは、高校をふつうより2年早く卒業し、17歳でカリフォルニア工科大学に入学した。
大学の数学の教科書を独学で勉強してすませ、数学を2年飛び級したマッカーシーだったが、体育の授業を落とし、進級できなくなった。彼は兵役につき、このキャリアを大学に認めてもらい、学業に復帰し、晴れて大学を卒業した。
カリフォルニア工科大生時代に「コンピュータの父」ジョン・フォン・ノイマンの講義を聴き、刺激を受けたマッカーシーは、その後、プリンストン大学、スタンフォード大学、ダートマス大学、マサチューセッツ工科大学で教えた。
1955年、28歳だったマッカーシーは「AI(Artificial Intelligence 人工知能)」ということばを作り、その翌年、ダートマスで世界ではじめてのAIについての国際会議を開いた。
ここに集ったのがマービン・ミンスキー、アレン・ニューウェルといった、マッカーシーとともに「AIの父」と呼ばれる人々で、人類のAI研究はここにスタートした。
その後、マッカーシーはマサチューセッツ工科大学(MIT)で、ミンスキーらとともにコンピュータ科学と人工知能の研究所を立ち上げ、これが現在の世界をリードするMITのコンピュータ科学の牙城となった。
プログラミング言語「LISP」を開発し、「タイムシェアリング」を提唱したマッカーシーは35歳のころ、スタンフォード大学の教授となり、72歳で現役を引退するまで同大にいた。
61歳で京都賞の先端技術部門を受賞したほか、ベンジャミン・フランクリン・メダルなど数々の栄誉に輝いたマッカーシーは、2011年10月、スタンフォードの自宅で息を引きとった。84歳だった。
マッカーシーが提唱した「タイムシェアリング」は、ひとつコンピュータを複数の人が分け合って使うシステムで、現代のクラウドの概念のもとである。
彼らが研究をはじめたAIは、進歩、現実化して、いまやAIが人の未来を占い、人を指図し、人を峻別し、人を切り捨てる時代となっている。ジョン・マッカーシー、恐るべき頭脳である。
ただ、AIは画期的な発想であり、コンピュータ科学の必然的な発展的帰結だろうが、人類の終わりの始まりという気がしてならない。マッカーシー博士はパンドラの箱を開けてしまった。
もちろん、マッカーシー博士に悪気はなかったろう。彼は言う。
「When I see a slippery slope, my instinct is to build a terrace.(滑りやすい坂を見ると、わたしの本能がそこに段を作ろうとするのです。)」(brainyquote)
(2025年9月4日)
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