5月19日は、米国の黒人活動家マルコム・Xが生まれた日(1925年)だが、ベトナム独立を率いた革命家ホー・チ・ミンの誕生日でもある。世界最強の国、合衆国に勝った男である。

ホー・チ・ミンは、当時フランス領インドシナだったベトナムのゲアン省の貧しい家庭に生まれた。父親は儒学者だった。小さいころから『論語』で中国語を勉強していたホーは、フランス語を学び、21歳のとき、外国船に料理人見習いとして乗りこんだ。
船員として世界を見てまわり、宗主国の首都パリで共産主義に目覚めたホーは、ソ連、中国をへて、51歳のとき、植民地だった母国に帰った。30年ぶりの帰国だった。
第二次大戦がはじまり、ナチス・ドイツが宗主国フランスを占領し、ベトナムへは日本軍が侵攻していた。この混乱を、ホーはベトナム独立の好機とみて、帰ってきたのである。
帰国した彼は、中国へ援助を求めたが、逆に中国の国民党に1年間拘束された。
1945年、ホーが55歳のとき、第二次世界大戦が終わった。すると、ベトナムは無政府状態となった。ホーはただちに国内をまとめ、ベトナム独立を宣言した。ところが、フランスをはじめとする欧米諸国はこれを認めない。ホーはふたたび独立闘争に入った。
「わたしを突き動かしたのは、愛国心であって、共産主義ではなかった」
ベトナムは、植民地支配を復活させようとするフランスとの第一次インドシナ戦争をへて、1954年、ホーが64歳のとき、ジュネーヴ協定が結ばれ、フランスは出ていった。
しかし、代わって米国が乗りこんできた。米国が南ベトナムに傀儡政権を立てて、ベトナム進出を目論んできた。これによって、ベトナムは南北に分断され、ホーの側は「北ベトナム」になった。米国側の南ベトナムは、選挙のない、反対派を弾圧する独裁政権だった。
1960年、南ベトナム内に南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)が結成され、独裁政権側との内戦がはじまった。政府軍側には、増派された米軍が味方して加わり、反政府側のベトコンを、ホー・チ・ミンの北ベトナムが後押しする、という構図だった。
1964年、米国は「トンキン湾事件」を自作自演し、この謀略を口実にベトナムへ本格介入。ベトナム戦争は泥沼化し、1965年、ホーが75歳のとき、米軍はついに北ベトナムへの爆撃(北爆)を開始し、戦線は南北ベトナム全土に拡大された。
世界最強の米軍は、B52爆撃機を飛ばし、ナパーム弾を落とし、枯葉剤をまき、と、核兵器以外のほとんどの兵器を投入して戦いながら、中国・ソ連の援助を受けた北ベトナム・ベトコン軍になかなか勝てなかった。一方で、バートランド・ラッセル、サルトル、小田実などの世界各国の知識人たちから米国非難があがり、米国内でも、ジェーン・フォンダ、ジョン・ケリーなど、ベトナム戦争反対の反戦運動が盛んになってきた。
米軍は、カンボジアなど周辺諸国まで爆撃を拡大した後、撤退を開始。そんな1969年9月、ホー・チ・ミンは心臓発作により没した。79歳だった。
その後、1975年4月に、北ベトナムが勝利してベトナム戦争は終わった。南北ベトナムは統一され、サイゴンは「ホーチミン市」となった。ベトナムには、障害者や障害児など戦争の被害者が多数いるが、現在にいたるまで米国はいまだに謝罪していない。

ゲバラ、カストロと並び、ホー・チ・ミンは、世界一の軍事大国・合衆国の侵略と戦い、勝利した数少ない英雄である。ホーは日本の植民地主義とも戦った。彼はこう言った。
「いいかい、嵐というのは、松や糸杉がいかに強く、安定しているかを見せる、いい機会なんだよ」(Brainy Quote)
(2025年5月19日)



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