5月15日は、女流作家、瀬戸内寂聴(1922年)が生まれた日だが、俳人、西東三鬼の誕生日でもある。
西東三鬼は、1900年、岡山県の現在の津山市で生まれた。本名は、斎藤敬直といった。
彼が6歳のとき、父親が没し、以後、彼は長兄に学資を頼って、歯科医の専門学校に進んだ。
専門学校を卒業後、25歳のとき、シンガポールにわたって歯科医を開業したが、現地での反日運動が激しくなったため、帰国した。
以後、東京、神戸、大阪などに住んで、開業医、大学付属病院の勤務医などとして、医業をつづけた。
歯科医稼業のかたわら、彼は「西東三鬼」の名で、俳句の伝統や、しばしば季語を無視した斬新な俳句を発表しつづけた。
反戦の句も詠んだため、太平洋戦争開戦前の1940年には、特高警察につかまったが、そのときは、句作を中止する条件をのんで起訴をまぬがれた。
戦後は、総合誌「俳句」の編集長を務めた後、1962年4月、胃ガンのため没した。61歳だった。
現代では、俳句は世界各地で詠まれていて、外国の人たちが詠んだ俳句に、新鮮で強く心を揺さぶるものが多いのに驚く。
昔、連句の会に出席していた自分はいちおう俳諧師の弟子である。また、句集を出している俳人の友だちもいる。ふだん俳句など詠まないのだけれど、多くの日本人同様、俳句はずっと好きだった。
好きな俳人、俳句はたくさんあるけれど、西東三鬼の詠む句ほど、個性が強く光っていて、それが時空を超えて、この胸に刺さってくるような俳句を作る人はあまりいない。三鬼は、大好きな俳人のひとりである。
はじめて、西東三鬼の俳句を、すごいっ、と思ったのは、つぎの句を見たときだった。
「機関銃眉間ニ赤キ花ガ咲ク」
このどぎつい、独特の感覚に脱帽した。
戦争の冷酷さを、冷徹に詠んだ句ということなのだろうけれど、当時の戦意高揚の風潮とはおよそ相いれない作風で、まあ、反戦句と言っていいだろう。こういう句が、特高警察ににらまれたのはとうぜんである。三鬼には、ほかにこういう句もある。
「パラシュウト天地ノ機銃フト黙ル」
「逆襲ノ女兵士ヲ狙ヒ撃テ」
西東三鬼は、戦争関係の句だけがすぐれているのでなく、その鋭い感覚は艶っぽい方面でもひらめきを見せている。
「おそるべき君等の乳房夏来る」
「滝の前処女青蜜柑吸い吸へという」
こういう俳句を見ると、背筋をぞくぞくするものが走る。とても、昔の人の句と思われない。現代にもってきても、まったく斬新で、みずみずしい。
西東三鬼の鋭い感性、個性的な表現力を見習いたい。
(2025年5月15日)
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