4月25日は露国の作曲家、チャイコフスキーの誕生日(1840年、ユリウス暦による)だが、伝説のサッカー選手ヨハン・クライフの誕生日でもある。
ヨハン・クライフは、本名をヘンドリック・ヨハネス・クライフといい、1947年、ネーデルランド(オランダ)のアムステルダムで生まれた。デヴィッド・ボウイや北野武と同年生まれ、団塊の世代である。
貧しい環境で育ったヨハンの原点は、路上でサッカーボールを蹴るストリートサッカーだった。
生家の近所に名門アヤックスのスタジアムがあり、10歳のとき、アヤックスの下部組織に入団した彼は、スポーツ用品店で働きながらプレーし、やがてゴールを量産するフォワードとして頭角を現し、16歳のとき、プロ選手となった。クライフは、当時アヤックスが目指していた新しいサッカー戦術「トータルフットボール」の中心選手となり、近代サッカーを体現していった。
トータルフットボールは、選手がポジションにこだわらず、全員で守り、全員で攻める戦術で、たとえば、ポジションと役割を固定し個人技で勝負する南米スタイルのサッカー、守りをがっちり固めてカウンター攻撃で勝利を狙うイタリアサッカーと異なる、まったく新しい組織戦術だった。
トータルフットボールを可能にするには、各選手にオールラウンドな高い技術と戦術眼、そして豊富な運動量が要求されるが、ストリートサッカーで鍛えられたクライフを筆頭とするアヤックスの選手たち、そしてネーデルランド代表チームはそれをみごとにやってのけて見せた。
クライフ擁するアヤックスは、国内外で圧倒的な強さを見せ、ヨーロッパ・チャンピオンズカップで1971年から3連覇を果たし、向かうところ敵なしだった。
国代表としても、クライフらアヤックスの選手を中心とするネーデルランド代表チームは、1974年のワールドカップでは、決勝で強豪西ドイツと対戦し、試合開始から相手に何もさせず、開始2分後には先制点を挙げるという離れ業をやってのけた。試合はその後、フランツ・ベッケンバウアーの西ドイツが盛り返し、1対2でネーデルランドは敗れ準優勝となったが、そのスペクタクルある斬新な試合は世界のサッカーファンをあっと言わせた。
クライフはアヤックス後、スペインのFCバルセロナへ移り、バロンドール(欧州年間最優秀選手)に3度選ばれ、現役引退後は監督としても活躍し、アンケートで20世紀欧州最高のフットボール選手に選ばれた。そうして途上国や障害者へのスポーツ支援にも尽力したクライフは、肺がんにより2016年3月に没した。68歳だった。
現代サッカーの、高い位置でプレッシャーをかけボールを奪って攻撃に転じるボール狩りや、オフサイドトラップは、クライフが体現したトータルフットボールの遺産である。
魅力的なサッカーを力説したクライフは言う。
「私が攻撃的なプレーを好むのは周知の事実だろう。(中略)私は多くのチームがまともに攻撃を組み立てられないことが信じられない。最近では横パスがスタンダードになってしまったようだが、横パスは問題を先延ばしにするだけで解決はできない。」(木崎伸也・若水大樹訳『ヨハン・クライフ サッカー論』二見書房)
クライフ・ターンや、彼のジャンピング・ボレーシュートが懐かしい。
(2025年4月25日)
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