4月17日は、「ムツゴロウ」畑正憲(1935年)が生まれた日だが、スリランカの女性首相シリマヴォ・バンダラナイケの誕生日でもある。
シリマヴォ・ラトワッテは、1916年、スリランカの名門一族ラトワッテ家に生まれた。6人きょうだいのいちばん上で、彼女はシンハラ人の仏教徒だった。
スリランカ人の75パーセントはシンハラ人で、タミル人が15パーセント、ムーア人が10パーセントほど。シンハラ人はシンハラ語を話し、タミル人はタミル語を話す。宗教は、国民の70パーセントが仏教徒で、ほかにヒンドゥー教徒が約13パーセント、イスラム教徒とキリスト教徒も10パーセントずつ。つまりシンハラ語を話すシンハラ人仏教徒シリマヴォは、スリランカの多数派に属していた。
24歳のとき、彼女は国会議員のソロモン・バンダラナイケと結婚し、シリマヴォ・バンダラナイケとなった。その夫が率いるスリランカ自由党が1956年の選挙で勝利し、夫は首相になった。首相夫人シリマヴォは40歳だった。
夫ソロモン・バンダラナイケ首相は、社会主義的、民族主義的政策の推進論者だったが、タミル人とシンハラ人との軋轢のなか、1959年に暗殺された。すなわち、43歳の妻シリマヴォは政治の世界に飛び込んだ。
1960年の選挙で、44歳のシリマヴォはスリランカ自由党を率いて勝利し、ここに世界初の女性首相シリマヴォ・バンダラナイケ首相が誕生した。首相に就任した彼女は、夫の政策を受け継ぐと宣言し、感極まって涙を流し「泣く未亡人」と呼ばれた。
「泣く未亡人」はローマ・カトリック教会が運営していた学校や、米国系や英国系の会社などを国有化する強硬策をとり、米英と決裂した。彼女は中国やソビエト連邦寄りの外交を行い、軍によるクーデター未遂や暴動をしのいで、結局2度首相に返り咲いた。
2度目の首相のとき、彼女は新憲法を制定し「セイロン」の国名を「スリランカ」に改めた。「スリランカ」はシンハラ語で「聖なるセイロン島」といった意味である。また、新憲法に、仏教は特別であり、国は仏教を保護する義務がある旨が明記された。
これに反発したタミル人側が分離独立を訴え結成したのがタミル・イーラム解放の虎(LTTE)で、スリランカは2009年まで続く長い内戦状態に入った。
弾圧と言論統制で強権を発動したシリマヴォ・バンダラナイケ政権は、一方で政治腐敗と国内経済悪化を生み、1977年の選挙で敗北し、彼女は61歳で首相の座を降りた。そして、スリランカが大統領制へ移行し、市場経済、経済自由化へと移っていくなか、首相時代の権力濫用の罪を問われ7年間の公職追放処分を受けた。
その後、公職追放処分が解けた後、彼女は政治に復帰し、娘のチャンドリカ・クマーラトゥンガ大統領の政権下で、3度目の首相の座に返り咲いている。
2000年10月、シリマヴォ・バンダラナイケはコロンボで没した。84歳だった。
スリランカは「上座部仏教」の国である。敗戦後、当時占領下にあった日本が、独立する機会となった1951年のサンフランシスコ講和会議の際、当時のセイロン代表は、
「日本の掲げた理想に独立を望むアジアの人々が共感を覚えたことを忘れないで欲しい」
と述べ、「憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によって止む」というブッダのことばを引用して、日本への賠償請求を放棄した。
シリマヴォ・バンダラナイケ、インディラ・ガンディー印度首相、マーガレット・サッチャー英首相、アンゲラ・メルケル独首相、インラック・シナワトラ泰首相……。日本に女性首相は、いつだろう?
(2025年4月17日)
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