4月7日は、「奇妙な果実」を歌ったビリー・ホリディが生まれた日(1915年)だが、社会思想家シャルル・フーリエの誕生日でもある。
フランソワ・マリー・シャルル・フーリエは、1772年、仏国ブザンソンで誕生した。父親は商人だった。
フランソワは、もともと技術者志望だったが、当時の軍事工学の学校が貴族の子弟のみを受け入れていたこともあって、彼は技術者の道をあきらめた。
彼が9歳のときに、父親が亡くなった。フーリエは、20万フラン以上の遺産を相続し、彼はそのお金でヨーロッパを旅行してまわった。
19歳のときに、フーリエはブザンソンからリヨンへ引っ越し、そこの商人の下で働いた。その後、彼は知識を増やし、経験を積むためにパリ、ルーアン、リヨン、マルセイユ、ボルドーなどでも働いた。
フーリエは、商人は不正や堕落に鈍感であるとして、商業の利益のために働くのを嫌い、人類全体に奉仕したいと考えるようになった。そして本を書きはじめた。
36歳のとき、主著となる最初の本『四運動および一般運命の理論』を出版。これは、四つの運動理論と、情念引力など、フーリエ独特の理論によって、森羅万象の存在、歴史を説明しつくすという壮大なテーマをもった書物だった。
以後、この書で示した体系を理論づける著作を続けたフーリエは、1837年10月、パリで没した。65歳だった。
フーリエの思想は、米国人アルバート・ブリスベインによって米国へ伝えられ、1830年代から40年代にかけて、米国でフーリエ主義が流行した。ボストン近郊に設立されたブルック農場をはじめとする「ファランクス」という理想主義的なコミュニティー(共同生活体)が全米各地に建設された。
ファランクスとは、400人から2000人の男女が一単位となって、大きな中心となる建物に住んで共同生活をするもので、フーリエの計算によれば、ここに住めば人はおのずと善良で、自由で、退屈しない、生き生きとした生活を営むようになり、ファランクスでは生産性が通常の5倍に向上するので、人間は18歳から28歳までの10年間を働けば、あとは働かずに余生を気ままに暮らせる、という理想郷だった。
米国のファランクスは最盛期には34団体を数えたが、不慮の事故や資金の枯渇などさまざまな理由により、1850年代半ばには消滅した。
晩年、フーリエはこう呼びかけた。
「理想郷的な生活集落を作るために、100万フランを提供する慈善事業家がいたら、名乗り出てほしい」
それからフーリエは、毎日、正午になると、慈善家が現れるのを待って、かならず自宅に待機していた。それを12年間続けた。彼が期待した慈善家はついに現れなかったが、ときどき彼のような理想主義者が出て来ないと、人類はだめになってしまう。
(2025年4月7日)
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